命賜わりて (完結文)

15.命賜わりて (完結文)
                                     荒張千五百 

 在りし日…。私の心身を鍛練してくれた軍隊とは…常に死線を掻い潜り、戦い尽くした中国の戦場体験が大部分を占めている。多感な青春時代に異性への慕情を棄てて、戦闘に己れの命運を賭けた「ひた向きさ」を懐かしみ、また…現在となっては…憐れみたい。『人生の情感は…ほろ苦いもので、夢幻の境地を堪能することも男の生き甲斐で、ただ我武者羅なばかりが…男の骨頂ではない…』とは…元戦友、故鳥居政夫氏が「花のお江戸の下町」をいなせな着流し姿で花柳界を遊蕩し…「粋筋」と浮名を流した伊達男の意見だったが、…殺伐で…風流心のない武骨な私に「人情の機微」を伝えてくれた一説である。
 その鳥居氏も、終戦後の有為転変で…会社社長の地位から転落して、夜の裏町をおでんの屋台を曳き売りしたり、どん底の苦労話があったらしいが、その裏店生活から、再び浮かび上がり…割烹料理店を経営するまでになり、さて…これからと云う時「脳梗塞」の発作で倒れ、十数年の闘病生活の末に没したと聞いている。故鳥居氏の「三年忌」には戦友の中では保科博氏だけが焼香しているが、生前の鳥居氏を人生の師と仰いで敬っていた彼は四十三年間に及ぶ…波乱に満ちた「半生記」を克明に記録して「本」にしているのだが…二人共「トセ部隊戦友会」が存在していることを知らなかったらしく、保科氏が、偶然の機会で「トセ会」に出席した感激を文章にして、鳥居氏のご遺族に寄贈したそうだが、軍隊時代の話を殆どしなかった鳥居氏の過去の逸話を、初めて知ったご家族に喜んで貰えたのが…とても嬉しかったと書いていた。私も…昨年の「トセ連合会」で語り合った時、あの復員から幾星霜が過ぎた今日までに物故なされた何人かの元戦友の「霊」に心からの黙祷を捧げずにはいられなかった。
 …昭和の末期に至るまで…千変万化の人生に熟練した社会人だからこそ、時世の浮沈を乗り越え、七転び八起きの一生を全うしたのだろうが、私のようにお座成りの苦労しか知らぬ者でも…こうした平和な世の中に「命賜わりて」暮らせるのは贅沢だと思っている。…音もなく…静かに老いを迎えたとき…遠い過去の幻影を現代に重ね合わせ…二度とは帰らざる「時間」の余韻を確かめるように…残り少ない我が息吹を大切にしたい…。現在、晩年となった…私を支えてくれる親族や、あの極貧暮らしの当時から手を携えて来た愛妻も…幸い我が頑迷をよく理解してくれる。私を取り巻く大勢の方々や…、まして…生き残った元戦友達。全ての人々が前後左右に交錯して、輪を作り、渦を巻いて…この「生存」に華やかな彩りを添えてくれた。…曾て…不運に泣いたこの私が、こうした多彩な知遇を得るようになった歓びも…「天」からの引出物と思い、丁重におし戴き…感触を味わっている毎日である…。
…「埼玉県、嵐山町の川島」に一家を構えてから早くも六年が経過した…。……波瀾万丈で飽きることがなかった「昭和の御世」は、千秋楽の緞帳が下ろされて…、「平成元年」と年号を改めた…。 新しい幕開きの時代を創造する正月は、国中が「喪」に蔽われていたが……、忽ちにして…半歳の月日が水のように流れ去った…。…遠い昔を瞼に描きつつ……私は…静かに瞑想している……。…荒張千五百…「齢」七十三才、伴に生きた妻は六十九才、そして只今…孫…六人…。

                              平成元年六月   「完」

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