軍砲兵戦に就いて

20.軍砲兵戦に就いて
 近代戦の特質は先ず飛行機の爆撃と砲兵の火力戦で戦いが始まり、この勝負が戦いの大半を決して後に歩兵の肉弾戦となるのだが、大砲兵戦を欠くべからざるものにした。師団のみの砲兵で足りず、軍司令直属の我々軍砲兵が0月0日、ルソン島に上陸した。軍砲兵と呼ばれ、大砲の口径も大きく機動力…自動車等を以て敏捷に運動が出来る設備を有し、自在な行動力を駆使して戦場の重要点に使用出来るように努めたものである。米比軍はバターン半島の天嶮に、我に十数倍する兵力を集中して防禦した。しかもカネに飽かした鉄の陣だから何としても、我々軍砲兵が参加して先ず敵砲兵と陣地を破壊して軍の攻撃を成立せしめなければならない。我々は敵が各種の準備の中で特に砲兵が展開して射撃準備をするのを機先を制して破壊して攻撃が成立しないようにするために所謂、攻撃準備破摧射撃をしてきたので、部隊は最前線に陣地を占領して果敢なる砲列を敷いた。バランガ付近では敵は我々を瞰制する良好なる高地を有し、昼夜間断なく射ってきた。高橋部隊は軍の展開を掩護し、敵砲兵を撲滅すべき任務を以て奮闘した。部隊はジャングルを利用して遮蔽し、夜間陣地に入り、夜明け前に夜間射撃をすると忽ち敵に火光を発見されるので、日の出を待って射撃をしたが、敵はサマット及びオリオンの高地に観測所を持ち、瞰制しているので我々が射撃を開始すれば忽ち発見して多数砲兵の砲弾を集中し、時々は焼夷弾を混じてわが部隊付近のジャングルを焼却して隠れるところもないようにするので死傷者は続出する。また陣地付近は焼けるし、それは言語に絶した苦心をした。ある時は小隊長以下自分の持っている露営用の毛布に水を浸し身を包んで消火に努めた。またある時は、手は折れ、脚は切断された戦友を介抱しながら射撃を続けたり、自らを犠牲にして奮闘これ努めた躍起となって攻撃準備破摧射撃をやってくる敵砲兵を射ったが敵の砲兵はオリオン山サマット山の蔭に隠れ、しかもジャングルを利用しているのでこれを射つのには中々骨が折れた。こんな時は飛行機の協力を得て目標を発見し、或いは射弾観測をして貰うのであるが、我々砲兵の射撃する火光を標定…測量して目標の位置を決定して射撃の準備をする。この目標の発見と射撃の準備とは飛行機も砲兵も共に他の想像を許さない苦労をする。即ち砲兵が敵砲兵の火光を見つけ標定した目標に砲兵が射撃をして、その弾着により、飛行機の偵察者に目標を知らせたり、ある時は飛行機も目標が見えないし、砲兵も見ることが出来ない時には目標位置を地域的に決定して其の地域に射撃してこれを制圧した。かくして万有困難を克服して優勢な敵砲兵を逐次にやっつけて軍の展開を掩護したが、愈々サマット山陣地の攻撃に移るや軍砲兵たる我々は敵の陣地の中で最も堅固の部分の破壊に任じ、二日の射撃に敵陣地要点の大部分を破壊し、歩兵が攻撃を始むるや殆ど無抵抗の状態で攻撃が進捗し、易々とサマット山一帯の敵陣地を攻略したのである。サマット山陣地の攻略が終ると直ちに追撃に移った。わが部隊は逸早く追撃に移って、敵の不意を衝き、海岸方面に出で、遠く敵の退路を遮断して敵の心胆を寒からしめ、遂にバターン半島全軍降伏の端緒を開いた。野戦に於いては軍砲兵はこんな役目も果たすのである。コレヒドール攻略にあたっては私の部隊は歩兵第一線を突破して拳銃で敵を威嚇射撃しつつ、速やかにカブカーベンと云う飛行場を占領し、これに陣地を選定して直ちにコレヒドール攻撃に移ったのであるが、我々が進出した時は他の軍砲兵は勿論のこと師団の砲兵も未だ出てこない、コレヒドールは眠れる如く艦船も一つの煙を出しているものなく、全く気味の悪い静けさであった。私は逃げる公算のある艦船の方を先ず射撃し、次いで逃げることの出来ない要塞を射つことに決心し、直ちに敵艦船を射ったので敵艦船は狼狽して逃げ出したが、遂に三隻を撃沈し、その他七、八隻は大損害を与えてこれを潰乱せしめた。敵の要塞も慌てて射撃をしだしたらしく、いままで隠していた火砲を出し、人間の右往左往するのが見えたが我々のいる位置が判らないのか、わが観測所の後方海岸に集まっていた捕虜の中に若干の射撃をしたに過ぎなかった。次いで敵要塞の火砲及び陣地の要点を次々と丹念に射撃して逐次に破壊し、五月上旬迄には殆ど破壊し尽くし、五月六日夜、軍砲兵の掩護射撃の下に粛々として敵前上陸を敢行して一夜にしてこれを占領し、さしも堅固を誇るコレヒドール要塞も遂に陥落したのであるが、師団砲兵の如きは射程も短く弾は小さいので殆ど活動する余地がなく、軍砲兵の独壇場となったのであるが、敵砲兵もさるもの三十六糎加農以下各要塞の火砲は活動し、わが陣地を射撃し来たり、その威力は偉大なもので、これがため死傷は相当多数に上った。我々も死の砲撃を加えた。これに加えてかのマラリヤに罹ったものは将兵の殆ど全部で、三十九度五分以上の熱の者が若干休んだくらいのもので、中山中尉の如きも四十度の熱を忍んで、向こう鉢巻きで奮闘したが、実にその辛酸は想像以上で血の滲むような思いとはこんなことを云うのであろう。とにかく砲兵は常に戦闘の骨幹をなし軍戦闘の枢軸をなして奮闘したのであるが、世界の趨勢は大砲が逐次多くなり、而も大きさも益々大となりつつある。近代科学戦の進歩と共に航空機と砲兵とは愈々重大性を持ち、戦闘の勝敗はこれによって決定せらるると云うも過言でなくなりつつある。寧ろバターン、コレヒドール攻略を契機として実証されたと考えて然るべきものであろう。中山氏によって軍砲兵の戦記が公にされることを聞き甚だ欣快に存ずると共に陣没された幾多の英霊に対するこよなき手向花として大いにこの秋意義あらしめたいものである。
                             (中山富久著『序文』より)

コメントは受け付けていません。