赤蘭村の別れ

08.赤蘭村の別れ
 一九四五年(昭20)一月。…広西省東部の「三江僮族」地区は新暦正月を迎えたが、新年を祝う日本兵八人と、旧暦の風習で暮らす「赤蘭村」の人々も互いの立場は異なってはいたが、漸く掴んだ束の間の平和を喜ぶ気持ちは一つであった…。………………。…村長の娘「麗芳」の美貌が取り沙汰されたのはその頃のことである。私たちは「水牛事件」や正月準備の慌ただしさに追われて部落の人と話し合う時間の余裕がなかったので、余所ごとのような面持ちで…この噂を聞いていた…。あの…病弱そうな「麗芳」を思い浮かべても「美人」には結び着かなかったのである。…そんな時、隣部落の第三分隊から「浅井」と云う私の同年兵が珍しくも遊びに来た…。「やぁッ、浅井ッ、もう病気は治ったのかいッ、…」「何を寝呆けているんだッ、あれからーもう、二ヵ月は経ったんだぞぉッ…」浅井清史一等兵が進撃途上に「下痢」で脱落したことを知っても見舞いはおろか、救済も叶わぬ激変の真っ最中では…非情を責められないのが戦場の常であった…。「浅井はー、悪運の強い男だからなぁッ…」「そんなことよりッ、おいッ保科ーッ…此処にぃッ、すげぃッ、べっぴんがいるッてぇ聞いてッ、来たんだけど、ひと目ぇッ、拝まして貰おうじゃぁねぇかぃッ…」「ひえッ、そんな美人がぁッ、居たっけかなぁッ、えぇッー、だけんど…お前んとこまで…そんなに評判なのかいッ、そいつぁー驚きだなッ…」「浅井清史」は元ガラス職人で、少年時代に兄弟子から女遊びを仕込まれたらしく…、軽妙なその物腰は軍隊には不向きだったが…、人心の機微を細緻に心得た…抜け目のない小悪党ぶりが板に着いた口調は、如何にも世慣れた「町内」の兄貴の風情が頼もしげで… 同年とは云え、世間知らずの私より数段大人びていた…。今日までに考えもしなかったその話題は…いくら晩稲でも忽ち好奇心を擽られた…。「おッ、浅井ッ、あの家が彼女んとこだょッ…」「うんッ、保科ょッ、折角来たんだからよぉッ、顔ぐらい見なくちゃぁ…」「ううんッ、でもッ、親父が此処の村長だからー出鱈目は出来ねぇんだょッ、…」…村長「鄭」氏とは…昨年の十一月半ばの初対面以来、昵懇の間柄だったが、その後…娘の「麗芳」と顔を合わせる機会がなかったのは、村長が若い兵隊を警戒して、故意に娘を戸外に出さぬよう巧妙に画策した為だったのかも知れないが、私の方も色々と混み入った事情があって、それどころではなかったのである…。「鄭村長ッ、今日はーッ…」…声を掛けるのと同時に家の中を覗き込むと、村長が相変わらず、いつもの上品な笑みを湛えながら…、親子三人が…テーブルを囲んで…何やら話合っていた…。私は「はッ…」と…息を呑み込んで娘の「麗芳」に見惚れて了った…。…先日、着の身着のままの山陰生活で薄汚れた作業衣姿の麗芳は、見るも哀れにやつれ果てて、笠を外した顔は泥でくすみ…、塵だらけの乱れ髪だった印象などは何処へやら、みめ美しい「乙女」が…はにかみの仕草で…母親と共に上品な目礼をしたのである。薄化粧も見えないが…肌は艶やかに煌めいて、目鼻立ちもくっきりと、漆黒の髪は綺麗に櫛づけられて、匂うばかりに美しい麗人の輪郭全体が…そっと目を伏せた…。濃紺色の小姐衣装をきりッと着こなした小柄な撫で肩は、見るからに清楚な感じで、世の汚れを知らぬ如何にも無垢のブィーナスそのものだから、迂闊に冗談も云えない。まさかお世辞を云う訳にもいかないので、飛び込んだものの、引っ込みがつかない。世馴れてる筈の「浅井清史」が、茫然として…暫らくは…放心したように彼女を見つめた侭、何の言葉も出さなかったのである…。 「………、…………、…」…頓珍漢の挨拶だったが、二人は…ほうほうの姿態で…村長宅から逃げ出して了った…。「なぁッ、保科ょッ、俺ぁー生娘は苦手なんだょッ、…」…荒みきった暴虐の「徴発」を繰り返したこともあったが、今では満腹になるまで「飯」を食い…夜の安眠をむさぼるこの頃では、仏心が悪逆無法を抑えてしまうものらしい。「だがなァー浅井ょッ、久しぶりに綺麗な娘が見られて目の保養になったなぁッー…」「うんッ、やっぱり此処まで来た甲斐があったょッ…」…戦闘は辛かったが、強ければ勝てる。力業で相手を捻伏せる醍醐味は…男の骨頂だったが、男女の微細な心の触合いには…乱暴者の強引な駆け引きは全く通用しなかった。未熟な男ほど己れの性に自信もなく、衝動的な欲望を抑制しきれず…動物的な性欲本能を満たしても、空虚な炎え滓が残るだけで、本来の安らぎは満たされないものである…。長い戦場生活で私たちの精神構造はがさついて、あらぬ方向に歪んでいたのだろうが、乙女の美貌が…かくも聖なる威圧感があることは、神秘な力が護身作用の力を発揮し、野望を漲らせる愚かな男共の邪悪な行動を、いとも無造作に…牽制したのであろう。…その日の、夕食が済んだひととき………。「昼間ァー、三分隊の浅井が来ていたようだったが、何があったのだぁー保科ッ…」荒張班長が…さり気ない調子で話し掛けて来た…。「はいッ、朝井はー、病気全快を知らせに来たんですッ、」「ふぅッー、でッ、二人が村長のとこへ行った理由はなんだッー」私と浅井が「麗芳」を話題に冗舌を交わしたのが班長に筒抜けだったのである。…二年に近い野戦生活で…遠慮も慎みも失った傍若無人の振る舞いは目立ったのだろうが…取り返しのつかない悪戯をした心算はないから、聞かれても私は平気であった。「なぁ、保科ッ、こうして村の連中と一緒の暮らしをしてるのは確かに正常の軍隊じゃぁないかも知れんが、信頼と規律が無くなったら、この生活が乱れる元なんだぞッ、…若いお前たちの気持ちも分かるが、好き勝手な行為だけは我慢せいょッ…」たしなめる班長は、部下の全員に…此処での規律を徹底させたいのが真意なのである。班の兵隊たちは他人事のように聞いていたが…冗談一つ云う者はいない。「班長殿ッ、今の生活を何時まで続けるんだか知りませんが、こんな所で…軍民混合の暮らしをしてりゃぁー、間違いの起こらねぇ方が不思議かも知れませんょッ…」古参の高田兵長は信州に妻子を残してきた召集兵で、三十一才になる重厚な人だった。口火を切ったような彼に続いて五年兵の鳥居上等兵が笑いながら…。「こんだの事よりぃッ、続いて事件が起らねェように(手)を打ちましょうょッ…」「手ッーて、なんのことだ…」荒張軍曹は女性の話題が不得手な方だから、こんな場合はどうしても洒脱な鳥居炊事長の意見に耳を傾ける気になる…。彼は、東京本所の出身で印刷会社の御曹司だったから、酒食や遊芸にも精通していて、色恋沙汰でも場数をこなした玄人肌の貫禄があって、下町の若旦那風の容姿である…。「いい方法があるのかッ…」「はいッ、一寸聞いた話ですが、あの娘にやぁー、許婚者が居るそうだから、よく調べて、できれば早く結婚をさせれば…と思いますッ…」…「なる程ッ、うん、じゃぁッ、その一件は鳥居に一任しようかッー…」結婚問題を執り仕切る程、班長は世俗に通じていないので、この手の話になると裁き方が分からなくて、何とか…その「波紋」から離れたがるようだった。…早速、調査を開始した鳥居上等兵は麗芳の許婚者が隣の集落にいることを突き止めた。鄭村長に「婚礼の仲介を進めたい」と申し入れたところ…「鳥居先生ノ、心労ニ、多多的感謝…」だと喜ばれる始末で、乗り気になった彼が、話の進行を例の「張彦郎」兄貴に頼んでみると…こちらも予想以上の反応で、…この一件に共鳴してくれ…喜んで「承諾」すると云い、とんとん拍子で話が纏ったのである。先方では、「戦時中の耐乏生活で…派手な結婚式が出来ないのを了解してくれさえすれば…当方は願ったり、叶ったりだ…」と言う答えで「好好的…」の連発だったらしい…。旧暦の地方暦の一冊を前にして彼らが「麗芳」の輿入れの吉日をあれこれ話し合うのを脇で見ていた荒張軍曹は「鳥居上等兵の外交手腕で、若い一組が…、この戦乱の最中にも拘らず、二世を契る華燭の典を無事に挙げられるならば…それは日本兵への信頼を高める素因になることだ…」と武骨な顔を緩めて単純に悦んでいた…。数日後…「婚礼の日取りが決まりました…」と、神妙な顔をした鄭村長が挨拶に来た。「荒張班長ニ、折入ッテオ願イガアリマス…………」訳を聞いてみると、(花嫁が輿入れの時は駕篭に乗って、この村を出てゆくのが習わしなのだが、その為には今、荒張班長が住んでいる、この母屋の正門から出してやりたい。戦時中だから質素なのは仕方がないとは思うが、惨めな輿入れにならぬよう、せめて正門から堂々と出してやりたい、身勝手な注文で恐縮だが、村長の要望を叶えて欲しい…)と言うのである。…それを許可することで彼らが幸せになれるのなら…『当日は母屋の全部を開放しょう…』と、気前よく男気を見せた荒張軍曹は…あっさりと承諾をした…。愈々…その当日が来た…。綺麗な造花で飾り付けた駕篭を母屋の中央の広い土間に据え置き、両親や身内の者が優しそうに見守る中で、(別れの儀式)は厳かに進んだ…。やがて時刻となり…静かに駕篭は表門から担ぎ出された…。門の外に首を伸ばして居並ぶ村人の前に現われた可憐な「麗芳」は、今日の祝儀を飾る意味の「古風」な化粧が念入りに施されていて…その美しさは一段と冴え…まばゆいばかりの花嫁姿で…目には涙を湛え、私たち日本兵にも丁寧な目礼をしながら通過し…、爆竹がけたたましく鳴る道を…その行列は…遠去かって行った。 ………………。…二月になった途端…、あの「張」の弟嫁の「蓉鈴」が産気づいた。…然し、ひどい難産だったらしく…「彦郎夫婦」らの、懸命な力添えのお陰によってか、…それにしても…一日掛かりで…生まれたのは女の子であった…。 「目出度い、目出度い…」世話好きの鳥居上等兵は、わがことのように喜んで、名付け親を買って…「鈴花」と命名すると、亭主の「範雄」は、新生児名を書いた紙を押し戴いて何度も頭を下げていた。然し、母乳が全然出ないらしく、その子の養育に苦労している様子だった…。十日程経った頃、「鈴花ちゃんが危篤状態…」なのだと報せが来た。原因はよく分からないが…体温が急激に下がり、俄に衰弱してきたのだと云う。村長の妻女がいろいろ手を尽くして看病したのだが、その頃の環境では如何とも為す術もなく、可哀相に、果なくも…いたいけな生命は、応えを失い…この世を去った。鳥居上等兵は幼い頃から、妹三人のただ一人の長男として成長しただけに、身につまされた様子で、傍目にも分かる哀しみようだったが…私には慰める言葉が出てこない…。…「南国」の如月半ば…一入寒さを感じる中で、秘めやかに…その葬式は終了した………………。一生懸命生きようとしているのは…村民だけではないのである…。…日本兵も…。軍需物資が欠損した侭だったから、作戦行動に行き詰まっていた…。被服にしても…七ヵ月を超える進撃で損傷が激しく、日常の服装も上衣は正規の軍服でも軍袴の代わりに「クウズ」と称する中国製のズボンを着用し、履物は布製の「ハイツ」と云う沓を使用し、軍の官給品は正式の場合に備えて、大切に収納して置く。毎日の作業用には「草鞋」(わらじ)を編んでこれを履いた…。夜間、就寝時には上下共、思い思いの中国農民服だし、異様な風体の寝姿は…日本軍隊にあるまじき…いとも珍妙な光景であった…。そんな、軍民混合の生活が、三ヵ月余り…小さな平和を維持していた…。「湖南会戦」は…前年(昭19)五月末、作戦の火蓋が切られて以来、悪戦苦闘の連続だった。その後は…十一月初旬の「桂林攻略戦」が今期作戦の最終で、停戦状態となり、それから四ヵ月目になると云うのに…依然として支援物資が途絶えた侭なのである。…武昌、岳州より長沙作戦を経て、衡陽一帯の大包囲殲滅作戦、更に桂林、柳州の攻略を以て、一応作戦を終了したのだが…、戦死傷者十万余、病没者四千を超える記録が、その悲惨さを明確に物語っている。加えて…全期間の制空権は、敵方が把握しており、後方の兵站基地は殆ど爆撃で壊滅してしまい…、今だに前線では時給自足体制で…責任地区の警備に当たってはいるものの、過ぎし作戦間の食糧途絶に措ける飢餓からの悪食で…伝染病が全地域に蔓延し、幾多の悲劇を生んだ事実は筆舌に尽くし難く、将兵の士気を阻喪させる大きな後遺症を残した。湘桂作戦が戦果の効率を最低にした理由は数々あるだろうが、第一には大本営の戦局判断の「誤算」があり、第二として「軍司令部」高級参謀の「作戦指導方針」にある。それは…実戦の経験もないような主任参謀が、机上の作戦遊戯を弄ぶだけだった日本陸軍のエリート至上主義の愚劣の実態に他ならない…。陸士三十六期、陸大恩賜賞の島貫武治大佐は、かのガダルカナル戦の惨敗を招いた南方第二十五軍の主任参謀で、悪名高い辻政信大佐とは同期であるばかりか、過ぎし(昭和14年)ノモンハン事件当時は共に現地の作戦参謀として、功名争いにしのぎを削ったが、今期は、第十一軍の主任参謀で、この島貫大佐が…冷徹非情の足跡を印したのである…。…凄絶な湘桂作戦も…、泥沼にはまり込んだような持久戦となり、収拾のつかない…焦燥から、麻を乱したような混乱が生じ、破局寸前の状態であった…。」…「武昌」出発以来、トセ部隊と…先陣を競い合った独立野戦重砲兵第十四聯隊(九州小倉)の「十五榴挽馬砲兵隊」には相当数の沖縄出身兵が在籍していた…。積年に累なる「琉球人」蔑視の迫害に抑圧された忿懣を抱えていた彼らは、丁度その時機に故郷の沖縄本島が、アメリカ軍の攻撃寸前と云う無電情報をキャッチした。現世の悲運を呪い、軽侮に耐えた彼らの憤激も限度となり、遂に自暴自棄に陥った…。徒党を組んで反乱の狼煙を上げ、手榴弾を炸裂させて上官襲撃の暴挙の挙げ句、挽馬に糧抹車を牽かせて、大脱走を決行したのもこの時期であった。…而も、この部隊には半強制的に徴集されきた朝鮮出身の少年兵たちがおり、沖縄兵の反乱に刺激されたのか、日本の敗戦を機敏に洞察したものか、部隊の混乱に乗じて二人、三人と脱走兵が連続発生したのである…。右往左往に駈け回っている追跡劇は、近在の駐留部隊に忌まわしい陰影を残した…。…私たちはかりそめの平和の「笠」に身を隠し、連日…空うそぶいており、麻痺状態の神経は無表情、無感動の生活に唯々諾々として…放埒とも云える一瞬を求め…「どぶろく」の晩酌に酔い痴れて…荒涼たる時世に目を瞑っていた…。目標を失った自堕落な兵隊たちは…風雲険しい広西省東部の各地で、明日の命運を占う術もなく…自由のない今日だけの快楽に浮かれ、日がな一日と暮らすだけだった…。…そのうち…、暖風を誘う弥生の頃…、当然…来るべき次期の作戦命令が発令された。私たちには其の日まで意識しなかった怠惰の感情が瞬時に突き崩されて、忘れていた緊張感に胸の鼓動が高鳴り…武者震いをしながら、荒張班長の「さあッ、いよいよ出動が決まったぞッ…」と云う大声に弾かれたように飛び跳ねていた……。

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