上海狂詩曲

04.上海狂詩曲

 一九四五年(昭20)入ってから中国方面の作戦に大きな変化が起こった。
   その一、対米作戦準備が支那派遣軍の「最大任務」となり、戦備の重点を沿岸地区に移すに至ったこと。
   その二、ソ連の対日参戦に対応する作戦準備のため、数箇の師団を「中国戦場」から満鮮方面へ抽出転用したこと。
 …大本営は中国兵備の重点を華南及び華中の海岸方面に転換する必要を迫られた…。これは今までに「西」に向かって作戦していた支那派遣軍を「廻れ右」させ、その上、「対米戦備」に切り換えることを意味するもので、画期的な変更であった。支那派遣軍総司令部は、湘桂作戦の戦果を過大評価していたので、この機に乗じて「重慶進攻作戦」を実施すれば、重慶は「単独和平」に応ずる可能性が多い…と推測した。然し、大本営統帥部としては「日独」の旗色が悪くなってきた現在、重慶が安々と抗戦を断念し、和平に応ずる筈がないと判断し…『四川省進攻作戦に伴う補給には、検討を要する問題があり「日本本土」の防衛強化が最大急務になっている時に、在華兵力の主力を「奥地進攻作戦」に用うることは、一考を要する…』との反対意見を提唱した。かくして…大本営は、中国兵備の重点は華中及び、華南沿岸、特に揚子江下流に在りと決断し…岡村支那派遣軍総司令官に対し「中国大陸に進攻する米軍を撃破して、日本軍の威信を高揚せしむることは、必然的に米国の中国介入の意図を粉砕し、大陸の全要域の確保も可能となり、同時に重慶勢力の衰亡に繋がるべし…」と命令した。

…大本営が立案した中国兵備計画とは…。「米軍機動部隊の上陸破砕」…。「日満華一体地域の援護に必要な航空基地の確保」…。「治安兵備の急速整備」…。「対ソ情勢の激変に対応できる陸軍総予備兵団の確保」…。
…の四項目とした。二十年春夏を目標に戦略態勢を醸成し、大陸不敗の形態を完成せんと計ったのである。長江(揚子江)下流方面の戦備は、上海と杭州湾周辺地区に集中し、また満州から「第六軍司令部」をこの方面に転用・移駐させること…。沖縄作戦開始後に於いても、大本営は米軍の次期上陸地点を上海付近、或いは山東半島南部の何れかであろうと判断したのである。この時機、大本営は来るべき本土決戦に、航空兵力を集結使用せんがため、米機動艦隊の来攻にも積極的な空戦反撃を加えず、専ら飛翔機を温存する方針をとっていた。『米機動艦隊及び輸送船団の接近に対しては、上陸地点付近に於いて、沿岸防衛軍の決死的な奮闘を以て撃滅を図るべし』…として…これを最大主眼とした…。支那派遣軍総司令部は全軍に対して、必勝の信念を強調し、将兵の戦意を鼓舞したが、然し、第二次以降…米軍の上陸が続いて行なわれたら、撃退の自信はなかった…。兵器弾薬、糧食等の欠乏のため、米軍を撃退し切れないであろうことは、支那派遣軍総司令部の高級参謀陣の全員が、悲壮な決意を固めていた筈で…、当時の上海沿岸防衛軍の総合戦力を調査した記録の諸数字がその事実を示している…。「主力を以て…中、北支の要域を制し、対ソ支…持久を策して、来攻する米軍を撃摧し…以て皇土決戦を容易ならしむるべし」と云う、支那派遣軍対米作戦計画大綱の方針に基づいて、昨年五月からの大陸打通作戦(湘桂作戦)で…占領した南寧・柳州・桂林などを二十年三月を以て全て放棄し、湖南の衡陽方面へ全面的に撤退することが決定した。華中では…四月以降、一部の師団が…揚子江下流や、華北を目指す…転進を開始した。アメリカ軍航空機の援護を受けた中国軍は、すかさず追撃に転じ、補給不十分のまま後退する日本軍は各所で守勢の負い目で…苦戦を強いられた…。八路軍や新四軍などの中国共産軍も、華北や華中で日本軍追討の大号令を発し、勢力を盛り上げる彼らに圧迫された我が部隊は…見る陰もなく敗走の方向に傾いた…。然し…。日本軍の敗北を目前にして、中国では国民党と共産党の対立が次第に強まり、中国の前途をめぐる主導権争いの様相も激化していたのである…。 そして…朝鮮の「排日抵抗軍」等も気勢を増し…更に執拗なゲリラ戦を展開した。… 一方、ヨーロッパ戦線も最終段階の時期が迫った…。 四月二十八日、「イタリアのムッソリーニ元首相」はバルチザン部隊に銃殺され、五月八日には「ドイツ」が連合国の猛攻に屈伏し、無条件降伏をした。ファシズムの巨頭は相次いで倒れ、ヨーロッパの戦争は一挙に終結したのである…。このように第二次世界大戦の情勢は刻々変化していき、アジア各地の民族独立運動の推進も活発化し、日本が主張していた「大東亜共栄圏」も事実上崩壊し…権威も権力も地に落ちて…その指導力は急激に弱まり…、数か月前まで…我がもの顔で中国大陸を席巻した支那派遣軍の采配も…今や力なく萎え凋んでしまった…。…米軍機動部隊の「上海」上陸作戦を想定する中で、最も脅威と目されたのは強烈な威力を擁する極東艦隊の集中的な艦砲射撃の凄まじさであろうと推測された…。支那派遣軍総司令官、岡村寧次大将は隷下の師団に従属する野戦重砲部隊を隈無く結集して、沿岸に砲塁を築き…、対抗砲撃戦を以て、輸送船団による海兵隊の上陸阻止を企図したが…既に彼我の戦力の相違を思いやり、心中深く決するものがあったと云う…。各重砲部隊は…決死の覚悟で陣地構築工事に当たり、夜を日に継いでの作業だった…。
 …トセ部隊が保有する「百五㍉加農砲」は「十四年式十加」と称し、当時最新鋭の「九二式十加」に比較すると、その性能は見劣りするのだが、この年代に措ける中国の野戦では、未だ抜群の威力を発揮していたのである…。「十四年式十加」は弾道平伸、弾丸の初速が早く、射程が長い。…特に尖鋭弾は…最大射程が一五千mに達し…、榴弾の弾道は曲線を描いて堅固な陣地を破壊し、殺傷効果が大きいという点で『野戦攻撃』の花形であった。然し、米軍の上陸作戦に対抗しても…実際には射程距離が遥かに優位な艦砲射撃の猛威には及ぶべくもない劣勢なのは無論、各部隊が周知のことだった…。重砲部隊には「十五榴・十五加」等も布陣しているのだが、どの性能も大同小異の貧弱さで、近代戦の最先端をゆく新型「火砲」等は準備されておらず…、空襲に備えた僅かな高射砲も型式は時代遅れが弱点であり、而も…全砲門の保有数量及び、使用弾丸数の絶対量にしても…甚だしい数差が…その劣勢を更に決定的にしたのである…。…「蟷螂の斧」の喩えを引いても、華々しい砲撃戦で、勝者となり得る可能性は望むべくもない…。…全砲兵部隊は悲壮の決意であった…。…独立野戦重砲兵第十五聯隊も、沿岸防衛作戦を強化する編成には他部隊からの転属者を受け入れて、大幅に増員されており、第二大隊各隊合同作業は活気が漲っていた…。「江湾営舎」に最終到着した私達の「帰隊申告」を…若い黒岩源治中隊長は童顔を綻ばせながら受けてくれたが、最も喜んでくれたのは第三中隊の戦友達である。東京出身の半田、浜野、久保田の三上等兵とも久方ぶりの邂逅であった。…翌朝、荒張軍曹が第四中隊に居ることを知った私は…帰還の挨拶を述べに行った。編成替えになったとは云え、私は子飼いの部下だから早く会いたかったのである。…「昨日ッ、戻って参りましたッ…」 軍曹は相変わらず無愛想な顔だったが、内心の嬉しさを表情に浮かべていた…。 「おぅッ、無事でよかったなぁッ、…」丁度、班内では初年兵の服装検査が行なわれていたが…先任下士官の荒張軍曹が立合責任者のようで…若い伍長に初年兵教育の指導要領を教示している処だった。 休憩時間になると、彼は十人程の初年兵を前にして…。「この保科上等兵は初年兵の時、聯隊合同の銃剣術大会で三位になったんだぞッ、湘桂作戦では…衡陽攻略戦の頃も…俺と一緒でぇッー何度も死にはぐった仲間なんだッ、お前たちも保科上等兵を見習って…頼りになる兵隊になってくれょッ、……」…湖南会戦での凄絶な事件の数々は…私にも生涯忘れられぬ強烈な印象を残していたが、軍曹にしても…思いは同じで、この入隊十カ月目の初年兵に…トセ部隊伝来の豪放な気風を受け継いで貰いたいとでも望んでいるのか、突然現われた旧部下の私を見た途端に、…過ぎし激戦談に触れたのは…柔な初年兵たちに「喝」を入れたかったのかも知れない。二年以上も湖北、湖南の戦場に在って、幾度か凄惨な状況に遭遇したが…軍曹の指揮下に居たなればこその…「存命」なのだ…とは私自身が一番よく承知していることで、経験の浅い、若い部下を親身になって指導してくれた班長の熱意のお蔭なのに…少しも…恩着せがましい売込みをしない人柄に接していると、熱い人情が直結で伝わってくる…。思えば…あの湖北の沙荊地区の初年兵時代、私が選抜上等兵になれなかった最大の理由は「酒好き」だったからで、荒張軍曹が五対一の選考論争にも怯まず、私を推薦していたことを知ったのは、ずぅっと後のことであった。…半ば自棄気味で…その後何回も酩酊し、迷惑を掛けて第四分隊の厄介者同然だったが、旧部下を模範兵さながらに…誇る言葉を聞いている私は…自責の念が溢れて、照れ臭くなり…その場に居たたまれず…、慌てて退散する始末だった。……………。…帰還後、約一ヵ月が経過した。…陣地構築工事の手順にも慣れた六月下旬…。私が最初の休日を取る日が来た…。待ちに待った外出許可証を手に小躍りして他の戦友同士と連れ立って営門を出た。…目指す場所は七㎞東の「上海」の市街である…。勿論、往復共徒歩になるのだが、そんなことを問題にする者は一人もいない。…初めて歩く「国際都市・上海」の印象は…見る物聞くものの全てが…「東京」とは比較もできない異国情緒溢れる奇異な風景で…街を歩く外国人の雑多な衣装を眺めて大袈裟に驚嘆する私は…お上りさん同様であった…。異人種の坩堝のような騒めきに賑わう市街の雑踏で、中国人の物売り少年たちが札束を鷲掴みにして、何やら奇妙な声を上げて跳び廻っている光景は…これで戦時中なのだろうかと訝しんだが、よく見れば…持った札束は、儲備券(日本発行の軍票)であった…。「日本敗北」が接近した情報で…、紙切れ同然の「軍票」では分厚い束でも、煙草一箱も買えない値打ちだったから、精々子供相手の商売にしかならないのである。香港ドルや…中山銀行紙幣を扱うのは真ともな商人で、中国人でも貿易商や、居留地に住む外国人関係の商取引では…「美国弗」が最大の値打ちだと云われていた…。市内の商店街では服装品や食品類はもとより露天の芸人までが威勢よく興業しており、ターバンを巻いた印度人の交通整理も見事な手捌きで、流石に此処は世界的な大都会ならでわの活況で、血腥い野戦の生活に慣れてしまった私には…目を見張るばかりだったが、元々外国の予備知識がないのだから当然だったのかも知れない…。日本兵専用の「ビヤホール」で、三年ぶりのビールを飲んだときの旨さは、忘れていた「東京五反田」の…在りし日を思い出し、郷愁が五体を駆け廻るようであった。「あぁー、ビールは…いいなぁーッ、………」この日私は…腹を割って話し合う戦友がいなかったので、一人無言で飲みながら…久しぶりの味わいを堪能していた心算だったが、何故か無聊の懐いは拭いきれなかった。次回の外出許可は、現在の状況では果たして何時の日になるのか…憶測も許されない。…既に部隊の雰囲気は全員が決死の覚悟で工事に臨んでおり、観念したとは云え、こうしてビヤホールの楽しさに浸れることは、二度とこないかも知れないと…名残り惜しそうにして店を出たが、…自分自身の未練がましさを笑いたかった…。…雑踏の舗装道路に…「編上靴」の硬い音が、一際高く…耳に響いてきた…。…未だ帰営時間に余裕はあるが、兵隊が一人で歩ける行動範囲は限られており、その上懐中の小遣いも「儲備券」だから「軍指定店」以外では饅頭一個の買物さえ覚束ない…。…折角の外出でやって来た「上海」の街なのだから…この世の見納めに、せめてもの…街の見学ぐらいはしてみようかと…私は思案していた…。「おいッ、保科ッ、なにをぼんやりしてるんだぁッ、…」後から声をかけてきたのは…あの「赤蘭村」で別れて以来の浅井同年兵だった。「あぁッ、浅井かぁッ、お前も来ていたのかぁッ…」彼と「上海」の「ど真ん中」で出喰わした突飛さに驚いたが、気の措けない相手だったし、安心して話し合えるのが嬉しかった。「おぉッ、儲備券しかねぇんだからッ、これから慰安所へいって、一発しょぉぜッ…」…彼は普段から酒を好まない方だったから、酒場へ誘っても断られるのが分かっているだけに、その誘いを素直に受け入れたものの…彼が全くの素面の筈なのに臆面もなく…次次と「女郎買い」の淫らな言辞を並べ立てるのには、どうしても相槌が打てなかった。「江湾」の東寄りにある軍指定のP屋までくると、大勢の兵隊が建物の前に集まっていて喧々囂々の騒ぎなのである…。「なんだぃッ、こんなに並んでるんじゃぁッ、俺は止めるょッ、…」順番を待つ行列を一目見ただけで辟易した私は尻込みして浅井の肩を押しやった…。「なぁにッ、馬鹿なことぉー云ってるんだッ、今日やらなかったらッ、もう後いつやれるんだかわからねぇんだぞッ、保科ょッ、俺たちの命はもうッー、保障外なのがお前には未だ分かっていねぇらしいなぁッ……」確かにそうかも知れない…。何処で会っても悪党ぶっている浅井から…、往生際の悪い煮え切らない腹の内を見透かされた私には…反論の言葉が出なかった…。「お前の云うとおりだなぁッ、……今生の名残りで…この一発を決めるょッ、」「えへへへッ、未だ勿体ぶっていやぁがるッ、……」…浅井清史は元々奇麗ごとは云わない。何時ものざっくばらんなくだけた口調で、さりげない顔をしながら…、世事に疎い戦友を…真っ向から子供扱いもできないと思ったのか…急に声を顰めて…情感を煽るように男女の性戯をあけすけに聞かせるのだった…。一人に使う割り当て時間が少ないらしく、次から次へと入れ替わり、たち変わり…目まぐるしい動きで順番が進むのである…。私の前は浅井だったが、後…もう一人と云うところになった。…「保科ッ、お前が先にやれぃッ、」「えぇッ、どうしてなんだぃッ……」「気が変わって帰っちゃうといけねぇからょッ……」「まさか…もう、そんなことぉッ、俺しないょッ…」「まぁッ、いいから、いいからッ、ほれッ、うまくやれょッ…」…後から突き跳ばされるようにして…扉を開けた私は…部屋の中へ転がり込んだ。其処には…けばけばしい化粧の女がベッドに腰掛けて私の顔を「睨んで」いた…。「早くちんぽこぉッ、出してさッ…、ゆぅくり…ダメなんだよッ…」私は一瞬…、度胆を抜かれて茫然と立ち竦んだ…。「わだし、おそい…困るね、はやくしよぉぅッ…」「……」 …慌てて軍袴を下へずらしながら、ベッドへ近付いていく…。「ちょびけんッ、わだしてょッ……」「…………………」交換条件で彼女は仰向けになり……思いッきり股を広げて…私を急せる……。…「とき」を数えたら十秒にもならぬのに…『悦楽の行為』は呆気なく終了した…。「あんたさッ、こんなことぉッ、はしめてかねッ、ドウテイかぁッ……」愚にもつかない問答をする気もないので、私は黙って軍袴をずり上げたが、屈辱感だけが尾を引いて、私の自尊心に絡み付いて離れない…。(やっぱり来るんじゃぁーなかった……)何と品性の下劣な…低級な女郎なんだろうー…と負け惜しみの理屈をつけたかったが、そんな卑しい売女にいささかなりとも接触した自分が情けなく、返す返すも悔やまれてならない。…白々しい思いが益々…私の嫌悪感を拡大した…。逃げるようにして扉を開けると…入れ替わりに飛び込んで来たのは浅井清史である…。…………………。不機嫌な顔で…私が戸外につっ立っていると…浅井が薄笑いをしながら出てきた。「いゃあぁッ、今日は外れだったなぁッ、保科ょッ、悪かったッ、悪かったッ、嫌なPに当たっちゃってぇッ、俺ァー憂欝だょッ……」…千軍万馬の彼が憮然と…舌打ちするのを見た途端、私は笑いが込み上げてきた…。一敗地に塗れた敗北感が…すぅッと薄れて…なんだか晴れ晴れとしてきたのである…。

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