さらば蘇州

10.さらば蘇州
 私たちの熱心な懇請はとうとう日本びいきの周中尉を動かすことに成功したのである。…「皆さんの希望が叶えられるように…尽力しましょう……」(中国の内部紛争は…我々だけで全面的に努力すべきことが正道である…)と云う結論に到達した周中尉が、遂に…日本兵を一人も勧誘することなく、兵団の上司に「日本兵全員解放」を促す…意見具申をしたことを、従兵の王上等兵の口から…知ることができた。「第七砲兵団に…多大な協力をした日本兵の「復員」を遅延させる「行為」は違法になるし、蒋介石主席の(徳を以て、怨みに報いる)寛大な声明にそぐわない強制移籍に近い勧誘は思い切って撤廃し、士気の振興を計ることが、兵団隆盛の原点である…」…彼の持論は…やがて上司も、その妥当性を認めるように変化したのだと云う…。…日本兵の「技術協力」の功績を表彰するならまだしも…、望郷の念を抱える彼らを…中国に残留させても、弊害あって一利なし…と決断した高官達が、「戦闘体制の強化手段は別途の議題で、新構想を練るべし…」と全員一致の可決だった経過も伝わってきた…。例の…「技術協力約定」期限も満期となり、文書的には「日軍俘虜」の拘束解除を断行せねばならず、解放時期も事務手続を合法的に作成中とのことだった…。全員を同時釈放することが現在施行されている法令上難しく、検討の結果到頭、十日区切りで…四人ひと組み単位にしての釈放が許可される旨の発表だった…。第一回の四人を解放する日は四月十日と決定した…。黒岩隊長達が協議して作成した帰還順位と六組の人名を知った時、一同は飛び上がらんばかりの喜びだったが、場所柄もあるので大袈裟な表現を押さえて、この日の為に予ねてから準備していた「復員用品」を銘々に早速取り出して…何度も飽きずに点検を繰り返しながら…帰郷の夢を膨らませていた…。今回のように…「戦勝国軍」が「機械化機動部隊」の新設に当たり、旧日本軍の将兵を徴用し、事実上の教官に推したことは国軍内部でも驚異的な企画だったのである。而も…円満に約定期限を迎え、大成功を治めての満期であった。…中国軍の「技能実技練習生」の将校以下兵士全員が、勤務の合間を縫って…入れ変わり立ち替わりに「お別れの挨拶」をしようと…押し掛けてきた。「こんなに感謝されるなんてッ、思いもしないことだよなぁッ……」…「この連中と殺し合いの戦争なんかするんじゃぁなかったょッ…」此処までの和やかな交流ができたのも…トセ部隊の将兵が歩んできた過去の実績が決して無駄ではなかったことが、今更のように思い知らされるのだった。…第一回の帰還日を指名された浜野上等兵ら四人の先輩たちは…十日の朝、日本へ復員した後の連絡方法を約束するなどして、満面の喜びを隠しもせずに興奮していたけれど、…涙を見せることもなく、第七砲兵団を出ていった。私が第二回目のメンバーに入っていることを知った「王上等兵」が「七砲記念」と墨痕鮮やかに、新品毛布の縫い取りの白布に署名を添えて書き入れてくれたのは嬉しかった。携行食料の白米を規定量だけ軍足に詰込み、中国煙草の「大前門」(ターチェンメン)二十箇入りも受領し、粉末醤油なども支給された。…当日…二十日の早朝になって…私達は、真新しい旧日本軍の服に着替えた。竹内幹太郎少尉、北見四郎軍曹、橋本三郎上等兵と…それに私の四人は、残留する戦友たちに挨拶を済ませた後、黒岩隊長と共に部屋を出て営庭に向かった…。「何応舜大隊長」と、技能教習関係者のうち五名程が顔を揃えている。この頃では「何大隊長」も日本兵への対応には好意を見せるようになっていた…。彼の先入観念にこびりついている「東洋鬼」の日本兵達も…実際の生活態度は、予想外に高潔で…連日、熱心に教練を続ける様子を知ってから、考え直したようなのである…。六ヵ月間の日々を過ごした親近感が、相互の胸に…どっしりとした楔を打ち込んだ感じだから…今では双方に厚い信頼の念が高まっている。…通訳将校の「周中尉」が黒岩隊長の「お礼の言葉」をにこやかに伝えていた。竹内少尉の「お別れ」の英語は鮮やかに聞こえたが…、中国語の挨拶が出来ないので、英語を使った方が雰囲気を和らげると彼が考えた演出だったが、日本語だけで押し通すより、確かな手応えがあり…これは効果的だった。…一列横隊で整列していた彼らが全員一斉に拍手をして…私たち四人の帰還を祝福してくれたのは…何よりの証拠だったけれど、敗戦前後の苦しい環境を思い出せば…これは想像もしなかった雰囲気であり、信じ難いような光景である…。…兵団司令部の計らいに拠って「上海」までの護衛役になったのは「劉曹長」だった。彼の「合図」に促されて、四人は姿勢を正しながら……営門方向に歩き始めた。「衛兵所」勤務の中国兵には何人もの顔馴染みが並んでいた。「再見(さようなら)…」感無量の私たちは、笑顔で会釈しつつ、営門を通過した…。劉曹長に引率された四人は黙々として…「蘇州駅」に向かっていた…。…「上海」行きの普通列車は一般市民の乗客に混ざっての乗車だった。車内では既に座る席もない大混雑だったが、劉曹長は別段厭な顔をする様子もない…。「悪いけど…座る席がないんだが、我慢して欲しいんだ…」…弁解をする彼を…今まで武骨一辺倒の男だと思っていたが、意外に庶民的であった。複雑な国内事情を弁えない軍人共のよく有り勝ちな威猛高な態度もなく、和やかな人間愛が…仄々と…辺り一面に漂っていた……。…「メイユカンシイ…(心配無用…)、テンホウだッ(上等だッ…)…」私たちはこの際…そんなことは今更意に介す必要もないのだから…笑い顔で…口々に日本語混じりの下手な中国語で応答していた。脇で、このやりとりを見ていた二三の乗客が目敏く私たちを「日本人」だと気が付いたらしく…警戒するような素振りで、少し…その身体を離した。…広大な国土を持つ中国では地域が異なる地方省県毎に言語に特徴があるので、自己防衛の為もあるから…言葉を解釈するのが先天的に優れている。終戦後八ヵ月も経った現在、この奇異な取合わせが解せないらしく、怪訝な顔をしていたが、この興味深い騒めきが忽ちに伝播して、彼らの視線がこちらへ集中した…。それと気付いた劉曹長が…乗客の不審を一掃するように早口で私たちの関係を説明したようだったが、一同は急に笑顔になって、今度は私たちに拍手を贈る騒ぎである。私たちは…これに手を高く振って答礼すると、日本兵の態度が余程珍しかったと見え、…拍手が一段と激しく車内を賑やかにした…。この意外な成り行きも、劉曹長が私たちを尊敬している心根だから、悪怯れもせずに…堂々と、日本兵を紹介したのだろうが、流石に面映ゆい感じであった…。若し、これが劉曹長との同行でなかったら或いは…こうも順調にいかなかったかも知れぬかと思えば…この世の運命に流されて生きる人間の不思議さが無性にいとおしかった。蒸気機関車の断続音が…程よい伴奏となり、車内の四方山噺は賑やかに盛り上がっていたが、百km程の道程は日本兵が居ても…少しの違和感を与えない彼らの大らかさこそ…私達が長い間、待ち望んでいた「自由と平等」の見本であった…。…私には、兵団関係者のさりげない配慮の程が…身に沁みて嬉しかった…。…「上海」は数か月振りだったが、相変わらず国際色豊かな賑わいを見せてくれた。五人は乗船目的地の「ウースン埠頭」まで約七kmを…軽便電車に乗り換える。…そして……。海鳥の飛び交う港内倉庫群を目指す私達の足どりは心なしか早まった。…港湾労働者の「クーリー」が、長い行列を造る荷揚げ作業は昔ながらの風景だったが、其処に集まっている人垣を覗き込んだ私達は…思わず「あぁッ」と…瞠目をした。…その集団には、街の中国人も大勢交ざって、何やら喧騒の真っ最中なのである。…遥々…と中国の奥地から引き揚げてきた日本兵が「上海」へ集結し、夢にまで見た復員が漸く許され、胸轟かせて…此処の「埠頭」に来て見れば…、中国兵が大勢屯しており、…帰還用携帯品を検閲する厳重な取締りが、彼らを待っていたのである…。…一見して、栄養失調風の弱体が分かる見窄らしい日本兵が検閲の順番を待つ合間を狙って…この見物人たちは、大きな声で囃し立て、嘲笑したり、乱暴にも大勢で脅しをかけ、僅かな所持品をも掠奪しかねない…恐ろしい光景だった…。埠頭警備の中国兵が複哨で巡回している筈だが、広場の中央で群衆が…千載一遇の想いを日本兵に抱いて狼藉を働く有様は、人垣に遮られて見えないのである。見物人は烏合の衆だから、騒ぎ立てる一方で、収拾が着かない…。警備兵の方も、長年に亘る日本軍の不当な弾圧に泣いてきた民衆の憤激を知るだけに、取締りの手段が憚かられ、精々叱責する程度だったから…彼らは次第に付け上がった。その喧騒の真っ只中に私たちが、極上の服装で割り込んでいったのである…。冷静な判断力を失った彼らは「劉曹長」の存在にも疑念を持たず、小人数の日本兵だけに焦点を絞って押し寄せて来たのも無理はない。私怨の他に忌まわしい物欲が伴って暴徒化した彼らは…目を血走らせて…「良き獲物」の到来とばかり…口々に何やら叫びながら近寄ってきた。「ツオーッ、(去れッ)ツオーッ…」鼓膜が破れるような大声で、その前に両手を広げて私たちを庇う「劉曹長」の張り上げる怒声は…流石に実戦で鍛えただけに凄まじい迫力があり、一瞬、暴徒の足が怯んだ…。この騒動に気付いた警備兵たちがおっとり刀で駆け付けて来た。其処には…自国軍の「上級下士官」が物凄い形相で、日本兵の前に大手を広げている。「ニィデ、ショマァ?…(貴方は何ですか)…」怪訝な顔で、問い糾そうとする警備兵の鼻先を払い除けるように「劉曹長」が、猛烈な口調で…事の仔細を説明し始めた…。「この人たちは中国上海軍管区麾下、華中砲兵軍団司令、林日藩閣下のお声掛かりで、別格の日本兵だから、無礼なことをし出かすと、此処の警備隊長の首が飛ぶだろう…俺は閣下のご命令で、この方々の日本帰還の…ご案内を仰せつかった者である…」とでも…言ったに相違ないが、彼は派手に見栄を切っていた…。…それを見た警備兵たちは吃驚して、俄に慌てふためき…「アィヤァ…」と叫び声を上げながら両側に分かれ、見物人を制止し、低姿勢で…五人を先導して歩き出した…。私たちが「湖南」、「広西」の激戦時に犯した徴発の悪業を「如何でか許すべからず、痴れ者逃さじッ…」と地獄の閻魔大王が、差し向けた追っ手とも云えるこの場の危機も…「劉曹長」が咄嗟に放った絶妙の機転で、またも救われ、事なきを得たのである。検問所の尋問にも彼の「口添え」があって、検閲も微妙な手加減を示したようだった。…通常では何かと難癖をつけて「携帯品」を削り取る係官も、私たちの取り調べだけは…滑るように通過させて、正式に乗船許可が下りたのである…。私達は、何か月間も…あらゆる難関を堪え、辛抱を重ねて…この時を待っていた…出航は十九時だったから、乗船する迄には未だ十分な時間の余裕がある。護衛任務を見事に果たし終えた「劉曹長」は、それでも直ぐに帰ろうとしなかった。…「みんなが乗船するのを見届けてから帰るよ…」と…私たちの傍所に付き添った侭で、何故か…中々離れようとしないのである。どちらも自由に言葉は話せなかったが、六ヵ月間の教練を…苦労した仲間意識が強い。…そうした厳しい経緯によって…双方の思いは以心伝心で…通じ合った。まして「劉曹長」には…特別の思い出があるので何時までも名残が尽きない…。私たちは何度も変わり代わりに握手を繰り返して…感謝の気持ちを伝えたかった。「シャシャノン、(有難う劉さん)シャシャノン…」「再見(さようなら)再見…」と見返す彼の顔には…恩愛に応える真意が溢れ、…惜別の哀愁に耐える涙なのか、その瞼は湿っていた…。

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