日中戦争の反省と教訓

15.日中戦争の反省と教訓
 作家 児島 襄 氏は 文芸春秋社 発行(昭・五九・七・一)の「日中戦争第三巻」の 末尾に以下のように結んでいる。
 交戦期間〓一九三七年(昭一二・七・七)~一九四五年・八月十五日…。中国軍の損害
  戦  死 一三一万九九五八人
  戦  傷 一七六万一三三五人
  行方不明  一三万0一二六人
      計三二一万一四一九人 国民政府 蒋介石主席
              対日戦 戦果 公表
  以上に対して 日本側の損害
戦死者
 満州地区  約 六万六四00人
 中国本土 約 四五万五七00人
           負傷者は戦死者の二五%以下
  起算方法はどうあれ、日中両軍の損害は甚大である。だが日中戦争を振り返るとき その戦いは突然に「支那事変」から発生したのではない。それ以前の経緯が告げ、その後の事態が語るように、むしろ 双方の「自らの足を引っ張る形の 談判と無策」が戦闘を生み続けた との印象が強い。日本は満州に進み、長城を越え、黄河を越え、揚子江を越え、珠江も越えた。その度に日本側に見られるのは「人」が変われば政策も変わるというのみで、判断のない行動の連続である。…そして 中国側にも、また 内部分裂による国家の意志と政略の不統一、民度の低さと旧習にからまれた弱点が目立つ。繰り返して試みられた和平工作も、結局は双方の勝者の立場を望む自意識過剰、国際性の欠如などが、成就を妨げている…。戦場を染める両国民の流血の量が多いだけに、この「日中戦争」の歩みには耐え切れぬ口惜しさを誘われてならない。戦争が終わり、そして中国は日本に勝ったというので、全国で お祝いの爆竹が鳴り響 いた…これまで 蒋介石と国民政府は「日本」、「日本の傀儡の 王兆銘 政権」、「共産党」、「国内財政の危機」、「軍、官の腐敗」という五つの敵と戦ってきた。対日戦の勝利は、中国側の五つの敵のうち、日本と王政権の除去を意味し、蒋介石と国民政府にとっては共に「国内の敵」である共産党と財政逼迫、腐敗が残ったことになる。対日戦略の基本は、既述したように「日中戦争」を第二次世界大戦の渦中に引き込んで勝利を治めることにあり、その目的は成功した。だが、その勝利は内蔵されていた二つの敵、「共産党」と「財政破綻」を浮上させ、しかも 対処すべき施策が もう一つの敵「腐敗の伝統」によって麻痺するがゆえに 別の新敵を誘発し始めたのである。……民心の離反……であり、どのような政権にとっても「必至自滅」の要因となる。共産党と共産軍は 戦後に より一層に露呈された国民政府側の腐敗性失政による民心の離反に乗じて、各地で農民、市民を参加させ、国民党軍の「帰順」も相次いで、 勢力を拡大していった。一九四九年一月二十一日 蒋介石は 国民政府総統を辞任して故郷の奉化県漢に帰った。一月三十一日…。「人民解放軍」は北京に入城し、その後 内戦事情は「雪崩」的に急進し、四月二十三日に南京が「陥落」すると 蒋介石は「台湾」に脱出した。
 十月一日…。共産党主席毛沢東は北京で「中華人民共和国」の成立を宣言した。『中国は日本と戦うたびに、体制を崩された。日清戦争で「清国」は革命に見舞われることになり、日中戦争で 共産化された…』故宮博物院 弁事員「那志良」は そんな感想を台湾にて得たと云う。………………「東京裁判」では「満州事変、支那事変」が日本の中国大陸支配を目指す計画的侵略戦争である旨の「立証」が試みられ「南京虐殺」その他の非道行為も語られた。では「日中戦争」とは、他には動機も理由もなく、ひたすらに領土を求めて「邪悪なる強者」日本が「聖なる弱者」中国に襲いかかっただけなのか…。
 赤い夕日、果てしない大地、黙々と鍬を振るう開拓民……と云うのが 終戦まで 私達が抱いていた満州のイメージである。この人達も飢狼のような侵略者であったのか…。「日中戦争」で日本は五十余万人の戦死者を数え、戦いの様相は泥沼と形容される。では 連戦連勝と云われていた当時の戦いの実体はどうであったのか。……その損害は残虐行為の代償でしかなかったのか…。中華民国 総統 蒋介石は支那事変が始まると「日中戦争」が第二次世界大戦に組み込まれて日本が敗北することを予見し、長期戦を計画し、指導した…と日誌に記述している。では 戦争の計画性はむしろ中国側にあったのではないか。また…中華人民共和国の「抗日戦史」には終始して「日中戦争」の主役を努めた蒋介石軍には殆ど触れられていない。それでは…私達が拍手した…戦時中の「王政権」下の時に日本の大学に学んだあの留学生達の、青春を捧げた献身の覚悟は…「歴史」から抹殺されたのか。……何故?…。…「日中戦争」は以上に述べた他にも中国共産党の役割も含めて疑問点が多く、世界の戦争史の中でも複雑な特質を持つ。その意味で「日中戦争」は その背景、誘因、経緯の何れに就いても単に乾いた断罪に止まることなく、相互の冷静で細密な実証的検討が必要になる。それがなければ、日本も中国も、その体質内に潜む脆弱点を摘出することが出来ず、反省と教訓を汲みとることも出来ない筈だからである…。

   一九八四年五月   児島 襄 著 「日中戦争第三巻」より抜粋。 転記して…日中戦争の「意義と感銘」を尚一層深めたい…。 一九九二年二月三日    保科 博

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