参考文

16.参考文
                       上智大教授   渡部昇一

 犬死でなかった戦死者たち戦後に世界の構造変化を起こす

 米英の《日本絞殺計画》  昭和十五、十六年頃の経済封鎖と人種問題を今の若い人にどうしたら実感してもらえるのだろうか。
 アメリカは大正十三年(一九二四)に日本人移民は一人も入れないという法律を連邦議会で通した。ヨーロッパの白人移民なら年間何十万でも入れ続けているのにである。
 昭和五年(一九三0)には、アメリカは一千品目について万里の長城のような関税をかけるという法律を通して世界の貿易に重傷を負わせ、世界的大不況を引き起こした。イギリスはこれに対応して昭和七年(一九三二)にブロック経済に入った。アメリカと、当時の世界の四分の一を支配していたイギリスがブロック経済に入ったのである日本の通商に重大な影響がないわけはない。日露戦争以降、特殊権益を認められていた中国大陸に活路を求めるより仕方がなかった。当時のアメリカの雑誌を見ると、こうした米英のブロック化にもめげず、日本の輸出は続行され、その権益で日本にない物資を買い続けることができた。戦前の日本の経済人の活躍には頭の下がるものがある。しかしヨーロッパにおけるヒトラーの戦争や、長引く日華事変の結果として、ルーズベルト(米)とチャーチル(英)は、日本を経済的に絞殺することに同意した。「日本から物を買わない」という政策では日本経済を絞殺できないことは昭和五年、七年の両国の経済ブロック化でよく分かった。そこで「日本には重要物資を売らない」という術を使うことにしたのである。日本は近代産業に不可欠な天然資源を悲劇的なまでに産出しない。錫、ボーキサイト、アルミニューム、ゴム、それに何と言っても石油がない。アメリカとイギリス…つまり当時のアングロ・サクソン国…が相談して、日本に天然資源を「売らない」と言えば、日本の全近代産業を容易に絞殺できた。その元のアイデアはチャーチルだと言う。ルーズベルトもチャーチルも英語が母国語だから話が早い。イギリスとアメリカで話がつけば、オランダは言うことを聞く。かくて石油は日本に入らないことになった。資源を買えない重苦しさ対日石油禁輸が問題になった頃、私は小学校(国民学校)の五年生であった。しかしこの問題の意味するところは当時の日本の少年…みんな軍国少年…にも明々白々であった。石油がなくなれば連合艦隊も飛行機も動けなくなる。海軍は米英相手の戦争には反対だという噂だったが、石油が入らなくなれば、備蓄のあるうちに何かやるだろう。当時の小学生の男子には自明のことだった。

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