哀  歓

08.哀  歓
 中央本線…「松本行き」の二時間半の普通列車は何事もなかったかのように「石和駅」の構内に滑り込んだが、私の追憶のひとときは…懐かしくもあり…、そしてまた…もの哀しい…夢のような桃源郷を浮遊していた気がしたけれど…、制動装置の摩擦音と共に一瞬の振動で…「どんでん返し」に切り変わり、現実の世界に曳き戻された…。…虚ろな目には、辺りの景色も未だおぼろ気に霞んでいるようであった…。「鳥居さん…到頭、石和に来ましたよッ、お疲れさんでしたぁッ…さぁてぇッ、これからどんなことに…なるんでしょうかねえッ…」自分の靴音に「彼」の存在感を想定し…思わず声を出したが、すれ違った通行人が怪訝な顔でこちらを見たので…「はッ…」とした私は…足並みを早め、商店街をすり抜けた。左へ曲がると、銀鱗の煌めきが見える小川に沿った細長い小道を…東へ進んだ…。…………………。指定旅館の「君佳」は、その流れが笛吹川に注ぐ…二つ程手前の橋の袂だった。玄関に入ると「トセ三会」の受付らしい所に、三人の初老の男がいたが、私には…それが誰だかわからないし、見当もつかないので…、黙って…お辞儀をするだけである…。「えぇー、あのぅッ、お名前はーッ……」…先方も…同じ思いのようだった…。「水戸から来ました……」…私が姓名を告げると、その人は名簿を指で追っていた…。「あぁッ、保科さんねぇッ、暫らくでしたねぇッ、私は松本ですよッ…」そう云われても私には咄嗟の判断がつかないから…黙っているしかない…。「ほおらッ…」眼鏡を外しながら立ち上がった…その人は笑いながら私に手を差し伸べてきた。「あぁッ、………」の瞬間、四十二年の月日が遡り…凛凛しかった…青年松本軍曹の面影が蘇ってきた。だが、私にとっては意外のことで、只…茫然として急には言葉が出てこないのである。「そう…そう、保科さんにはぁッ、戦後まもない東京で…会いましたっけねぇッ…」(はあ~て…そうだったかなぁッ…)と、私は呆気にとられて…返す言葉に詰まった。「ほらぁッ、渋谷の家へ俺が尋ねていったでしょうょッ…」そう云われても…私の記憶があいまいだから…相づち一つ打てないのである。彼が云う話の中身は…辻褄が合っているような気もするのだが、私の方はそれが事実であろうとも、その頃の記憶がぼんやりしているので…何とも云いようがない…。私はだらしなく口ごもりながら…お茶を濁す生返事をしたけれど、これでは…恥ずかしいと云うより、そんな自分がたまらなく惨めな存在に思われてきた。…朝鮮焼酎のがぶ飲みで…明け暮れていた頃が頭の中を過るけれど、言い訳にもならず… 「バツ」の悪さを誤魔化そうと目を伏せたが、松田氏は歯痒い思いだったに違いない。…………………。…仲居に案内された「おみなえし」と表札を掲げた指定部屋に入ると、私が最初の到着らしく、ひっそりとしていて手持ち無沙汰の面持ちだったが、さほどに待つこともなく… 「元戦友」氏が、次々に現われてきた…。その人たちは、互いに誰かの消息を話し合っているようだったが、私の顔を見るなり……「誰でしたっけぇッー…あんたぁッ、今度初めてでしょッー…」そう問いかけてきた人に…何処か見覚えがあるような気がしても、名前が出てこない。…どうも…あの頃に、この人達と一緒の勤務をしたような想いがするのだが……。「私……保科ですぅッ、太山廟当時には…お世話になりました……」「……………」「あぁッ、そうだぁッ、思い出したょッ、暫らくッー…私…高辺ですょッ……」…このやりとりを見ていた他の人たちも、示し合わせたように名前を名乗り出したが、手を差し伸べ合って喜ぶほどの人ではなかった…。面影を辿っていくと、この人たちは古参兵ばかりなので…儀礼的な挨拶を交わしたが、私は遠慮がちに…少しずつ今日集まる顔触れを聞いてみると、古年次クラスが多いので…あの頃の…若手だった私たちと同年令の者は来ていないことが判明した…。一寸、思惑外れの感じだったが、何はともあれ…今日は…四十二年ぶりに参会したこの「戦友会」を素直に喜ぶべきではないかと…気をとり直すしかなかった…。昭和二十年秋の訣別以来、幾星霜の年月が過ぎ去って…確かに記憶は薄れたが、それはそれで双方共に当てはまる…ことなのである。軍隊を忘れて…人間臭い事件に揉まれ通して来た過去を思えば…頷けることだった。然し…この場の価値感も大事だから…先輩諸氏には敬意を払っていた方が無難である。…この再会は…絢爛豪華にときめく現代で…、不図した相部屋が…よしみとなって、話合いが始まったのだが、元々は…同じ部隊の戦友だから…、話題に事欠く心配はない。やがて……先程の松本元軍曹が部屋に入ってきた。…彼に聞いた処によれば、今回の出席者は二十七名だが、大体毎年こんなもんだと云われると…意外の小人数なのも四十年を越えた現在となっては詮議をするまでもない…。…遠い昔…。「戦争」と云う陰惨な目的で、凄絶な戦場を命を賭けて奔走した者同士が、「時間と空間」を一挙に飛び越え、この「戦友会」で…今しも風化寸前の「歴史の事実」を互いに証言し合うひとときが…この人達にはこよなき「愉悦」なのかも知れない…。その元古年次兵の…松本氏が六十六才だから…他の人たちは七十才前後の筈である。…穏やかな容貌でも…年輪が深々と刻まれては…既に老いは隠すべくもない。かくしゃくとした態度に仄めかす「俺は未だ現役だょ…」と自信満々に…「老人扱いされるのはまだまだ先のこと…」だと未練に否定をしたものの、それは願望だけのことで、誰がどう…見ても、紛れもない老人そのものだから…和やかな滑稽感が込み上げてくる。「町内のカラオケ大会で優勝したんだよッ…」と誰かが言えば…。「ほうーッ、老人クラブの爺婆選抜大会のスターなのかいッ…」剽軽な口調で人を笑わせる噺ぶりには…場数を踏んだ「尾鰭」のつけ方も人を傷つけない明朗さが伴っているので、貫禄十分の態度は…普段の暮らしが豊かな証拠にもなる…。「終戦後の『江湾兵舎』で、よくぅッ、相撲をしたっけねぇッ、あんたとは何番も取った覚えがあるがぁッ、たしか、俺の方が少し…強かったようでしたょッ…」そう云う…得意そうな言葉が出るようになれば、肩のしこりもほぐれて…みんなが俄に若返ってくるから面白い。……噺はなるべく他愛ない方が周囲を円満に導くものである。断片的な噺の内容は、遠い記憶を再生したものだが、現在聞けば…寧ろ新鮮味がある。…この雰囲気は…惰性に慣れた現代に…爽やかな活気を与える効力があるかも知れぬ…。「だけんどぉッ、あの戦争は辛かったねぇッ……」矢張り…それは苛酷な体験故に、忘れ難い憶いが…話題の主流になる。…「そりゃぁッ、誰だって同じですょ、だがぁッ、ほんとに凄かったからねぇッ」戦闘に明け暮れた野戦では…どの部分を語っても、身の毛がよだつ噺ばかりである。…「太山廟」の衛兵勤務も大変だったょねぇッ…」交互に繰りだす様々な懐古談の中には一同の爆笑を誘う大袈裟な失敗談もあった。…時と場所は、往時の風物詩を彷彿として描き…交々の逸話は…いよいよ佳境に入った。みんなは、何度も相槌を打って、一斉に合点し…「あの頃は、俺たち個人の意見が全く無視される軍隊にいたんだけど、知識の方も幼稚だったなぁ……」と、嘆声を上げた。その記憶力の良さは驚嘆の一語に尽き…、噺は尚…止めどもなく続いていく…。…高っ調子で語り合う…その相手が、何時の間にか、毎日見馴れた顔のように思えてくるのだから、これがまた頗る不思議な現象であった。私たちは…、身を乗り出し…手を叩いて大声で笑うことに魅了された…。…永い年月が過ぎ、普段の生活には全く関係がなくなった「旧軍隊」の…時代錯誤も甚だしい四方山話に、のめり込んだが、まるで…その主人公が、全部自分だったのではないかと錯覚するような、共通性の多い…ありとあらゆるエピソードが次々と披露された…。熱気が部屋中に溢れて「俺ぁッ…お粗末な話題が得意なんだよ…」と、唾を飛ばして蛮声を響かせると…畳を叩いて…『百年の知己も斯くや』と思はせる騒々しさになった…。…「折角、温泉に来たんだから、もう…湯に入りましょうやッ…」流石に気をとり直したように…一人が云い出すと…。「それじゃあぁッ、入浴も『上番、下番』で…二組にしましょうか…」…先程までの興奮気味の空気が静まって…四人がぞろぞろと部屋を出て行き、後に残ったのは私と松本元軍曹だけだったが…話は途切れなかった…。「薄井さんと云うッ、名物曹長がいましたっけが、消息はあるんでしょうか…」「あぁー、彼は去年死にました。…あれぇッ、確か、茨城の勝田でしたょッ…」「えぇッ……」勝田は水戸とは那珂川を境に地続き同然で…全国有数の「家電機器産業」の町である。…四十三年前の真夏に「衡陽城」攻略戦を頂点としたあの激烈な「湘桂作戦」で、同じトセ部隊の兵隊として、共に従軍した仲だったが、私は…三十年近くも暮らした水戸の直ぐ隣市に彼が居たことも知らず、何の連絡も取れなかった自分の迂闊さを悔やんだ…。「北見軍曹さんは如何なんでしょうか…」…中国軍第七砲兵団で…過ごした「軍事教練」は六ヵ月間にもなったが、その人とは復員船も一緒であり…東京まで同じ汽車で帰還した懐かしい人である。「北見さんは住所は分かっているんですが、未だ一度も出席してないんですょ。電話をしても…何か家庭的な事情で家を明けられないとか言って…あっさり断られるんですが…どうも…要領を得ないんです……」何となく言葉を濁らす松田氏の表情は冴えなかった…。「何があったんでしょうか?……」その「北見軍曹」は…古株の召集兵で、常に自信満々の…即決、即断型の人だった…。「北見さんは、もう軍隊時代には…未練も郷愁もない……現実主義者のようですッ…」…私には何とも理解し難いのだが、どんな理由があるにせよ…あの当時、寝食を忘れる苦しい進撃で、命を懸けた戦友たちを無下に忘れる筈がないと思うのだが……「戦友会」に出席しないのは余程の原因があるのだろう……。然し、それは私だけの貧弱な感傷で、他人には窺い知れないような忌まわしい過去として…旧軍隊を葬り去ったらしい彼が、戦後の生きる道を…新規に開拓した自分を大切に生きようとしているのを、第三者がとやかく口を挟むのは…いらざるお世話かも知れぬ…。総ての功罪は歳月が経てば「零」になるものと決め込む程単純なものではないらしく、戦友同士の判断では…当時の戦場に発生した…想像を絶するような事件と複雑な人間関係に苦悩しつつ、生き延びた者だけが理解し得る見解なんだ…と云っているらしい…。私が懸念した…「若い年次の兵隊」たちの未出席は…また別の理由だと知らされた…。…初期の「トセ会」で起きた…「事件」の内容も、戦後の時世を弁えぬ「命令口調」に反発したのが原因らしく、大部分の者が「大会」をボイコットしたと思える…その考え方に共鳴をしないでもないが、只今の…私にして見ればまた別の疑問を抱く…。…………………。…その昔、戦友だった人達が、終戦後の困窮期を乗り越え、各人、各様の人生で…平和な世の中を通算して、現在では人生の終盤期を迎える年齢になった一個人の「言動」を圧迫しようとすることは、それこそ双方共に「反民主主義」なのではなかろうか。感情論を一概に責めはしないが、老齢的な思惟が…そのわだかまりを批判したくなる。私は、元将校や古参兵の人たちにも当然「戦友会」の意義を再認識して貰うことを願う者の一人だが…階級意識や在任年限の新旧の差別は古今東西の永遠に不変な常識とするのを…重々承知しているけれど…「敗戦」後の「新日本」に生まれ変わった現代でも…軍隊時代の「掟」は揺るがせない事実として遵守すべき事柄なのだろうか。元来、私は物事に取り組む度合いが他の人より希薄なのが欠点だと云われてきた…。絶えず自己を叱咤して発奮しないと…忽ち決心が弛んで後退し、纏るものも崩壊してしまうから、この手の失敗談は枚挙に暇がない。この意見が強引なことも承知している…。「トセ部隊」連合会や「各中隊別」以外に、年次別の「戦友会」が別途に運営されていることも、松本氏から此処で、初めて知らされたことだが、早速「同年兵会」の連絡先を調べるほど、私には積極的な欲求が湧いてこないのである…。…然し、終戦前後の混乱期に第三中隊長だった「黒岩源治中尉」が、この日参会していることを知った時は…如何に懐疑的な私でも流石にあの「蘇州時代」が懐かしくなり、この場合…元中隊長に敬意を表する意味で、挨拶するのが順当な礼儀ではないかと思った。私は…その「部屋」を訪れた…。…「ご免ください…」と襖を開け…丁重な姿勢で、素早く室内を見渡すと…其処には、一見…、七十才を超えたであろうかと思われる四人の男が神妙な顔で座っていた…。「黒岩源治氏」は確か私より年下だった筈だから…「はぁてッ、部屋を間違えたかな」一瞬、そんな想いに駆られたが、今更…無言で引き返す訳にはいかなかった。「えぇー、わたくしぃッ、保科博と申しますが、この部屋にぃッ、黒岩源治さんがいらっしゃるんでしょうか…」私は殊更に頭を下げてから…前方の男たちを見上げた…。「へぇ、黒岩は私ですが?……」…声を挙げた人は…坊主頭が見事に禿げ上がった小太りの男だったが、この人が今年六十三才になる筈の、元中隊長だとは思えない老けた顔で、地味な風采なのである。「…………………」予期したイメージとは全然異なる容貌と、その反応に私は次ぎの言葉が出てこない。「何のご用でしょうかぁッ、?………」…遠くから見据える彼の表情に猜疑心が溢れているのが明瞭だから…私は戸惑った…。「はいぃッ、『江湾』の兵舎では大変お世話になりまして、有難うございましたッ…」…それだけ云うのが精いっぱいの…空々しい挨拶は、我ながら不味かった…。「はぁー、いえぇーッ、どういたしまして………」彼の返答は全く…初対面の人に接したときの「声」である。…どうやら、私のことなど全く失念しているらしく、尚も無言で見詰めるだけで…、その態度には感懐の変化が見受けられない。私は…それ以上の会話を続ける意欲を失った。 『一応の儀礼は果たしたのだし……』 昔の交誼を無理強いするような仲でもないのだから…、この場は…そこそこに…退散した方がよさそうな気がしたのである。…中国軍第七砲兵団当時の期間を含めて八ヵ月も一緒の生活をした筈だったが…「何てぇこったぁッ…」と不満だったが、それ以上の詮議立てはするまい…と思った…。この私にしても…当時の記憶は断片的にしか蘇ってこないのだから、一方的に彼を不実者だと仰々しく責め立てる訳にはいかないのである…。…こんな時に…せめて同年兵の一人ぐらいでも来ているならば…明るい気分も取り戻せたのであろうが…、何もかも期待外れとなり…「お座なり気分」は避けられなかった。「戦友会」には特異な期待をしない積もりで参会したのだから、割り切るしかない。………………。…宴会の雰囲気は、その日の「目的」により、その形態と内容が決まるものである。…私がかつて「清水建設」の現場渉外担当だった頃は、各種の「儀式」や「宴会」に出席する機会が多かったが…、それらの総てを自分の手で企画し、人を招聘するお膳立の難儀な軋轢に悩んだ経験を重ねるにつれ…「宴会」の重要さを思い知らされたものだった…。この「戦友会」のように職業も住所も異なる人々が、普段の生活には関係なく…「年一回」だけ、「懐古」を主題に集合し、酒宴を開くのは精神衛生上にも結構なことで、老年期を迎えた時機、自分たちの若かりし…その昔を語り合い、残り少ないエネルギーを発散することは新陳代謝を促し、健康維持にも役立つことであろう…。午後六時…。…愈々「総会」開始の時間となった。…幹事役の開会の辞が済むと…、雛壇に座った元将校の最上級者だった「富山大尉」が立ち上がって…おもむろに挨拶を始めた。「幹事役員諸氏のご尽力により、第十回の「トセ三会」が開催されて、今年もお元気な皆さんとお会いできたことを大変嬉しく思う次第で…、厚くお礼を申し上げます……」当然のような待遇を受けて、彼は己れの特権意識に目覚めたかのように胸を張ったが、浴衣姿で喋っているので、威厳もないし、感激するような雰囲気でもない。六十代後半とも見えるその老人が「戦友会」の席上で、予め定められた役割通りに無難な挨拶をこなしていく…古めかしいこだわりの「式次第」が、テンポの狂った時代ズレを思わせるが、これは「老戦友」向きの企画だから…止むを得ないことなのだろう…。…新規に参会した者が三人も居て、「自己紹介で挨拶して下さい…」と司会者に云われ、次々と立ったが、私も四十二年ぶりに初出席した「喜び」と「戦友捜索」役の幹事に対しての謝辞を述べたが、一同は儀礼的な拍手を送るだけの低調な儀式に過ぎなかった…。居並ぶ顔触れを見渡しても、どの人が誰やら…さっぱり分からないものだから、私の方でも親密感が沸き上がらないし、どうにも…ぎごちないのである…。私の右隣の人は「終戦」間際の江湾兵舎になってから、トセ部隊に転属してきたとかで…歳月が経ち過ぎて…殆ど…何もかも忘れて思い出せないので…折角の勧誘に応じて出席したけれど、誰とも話が出来ず…「四面楚歌」のようだと…寂し気に語りかけてきた…。「なぁに私だってッ、たいして変わりはないですょッ、トセ部隊に三年いたんですが、この中で、どうにか私の顔を覚えている人は…二人ぐらいなんですからねぇッ…」「はぁー、そうなんですかぁッ…」その人は「山崎優作」と名乗り、久里浜在住とまで打ち明けて親近感を示してくれ…、「今後とも宜しく…お願いします…」 …と嬉しそうだった。実直そうな彼は、気軽に答える私に同意したかのように、しきりに話し掛けてくる。「聞けばぁ、わっしとおなじ十八年三月の同年兵だしぃッ、わっしにゃぁッ、丁度良い人に会えてぇッ、良かったですょッ…」予期しなかった和やかな展開に、私も「来た甲斐があったのかな…」と思えてくる。…「今日此処に出席している人でも、おそらく個人的な交際はしてないと思いますょッ、まぁッ、年一回の会合だけの付き合いだと割り切っている筈でしょうからねッ…」調べてもいない無責任な言葉が思わず出たが、私と鳥居政夫氏のような特別な関係が、「そう…ざらにあるもんか」と…身勝手な当て推量をするのは…私の性癖であった…。左隣は例の松本元軍曹で、立派な風格をしているが…「痛風」で苦しそうなのである。「失礼ですが、美食が過ぎるようにお見受けしますがぁッ…」彼は、無遠慮に云い放つ私を見返して…心外そうな顔をした…。「それ程…でもないけど……」私は…要らざる口出しが過ぎたかなと思って、前言をフォローする気になった…。…「そう…ご自分で思っているだけで、粗食の味を忘れちゃったんじゃぁないですかぁッ…それにぃッ、塩分の取り過ぎもよくないそうですよッ…」「何だぁッ、保科さんはぁッ、医者みたいなことぉッ、云うんだねぇッ…」…「いぃえねッ、私も永年の高血圧症で治療中なもんですから、食生活では苦労しているんで、つい、気に触るようなことを云ってぇッ、どうもあい済みません…」「あぁ~ッ、なるほどぉッ、実はぁー、俺もぉッ、医者から何時も…そう云われてるんだょッ、なんだぃッ、それじゃぁッ、折角の…この料理も、お預けかねぇッ……」意外に彼は気さくな声で、剽軽そうに「しかめっ面」をして笑った…。二人が愉快そうに大声で笑い合うものだから、向こう側に座っていた幹事の一人が、何事が起きたのかと…驚いたそぶりで…こちらを睨んだ…。温泉芸者を四人も呼んでいたから、艶かしい嬌声があちらこちらで商売用の媚態を大袈裟にくねらせて…老兵たちの…干涸びた好奇心をかき回している…。元勇士たちは、艶消しのかすれ声ながら、流石に年の功は無駄ではなく、…もの馴れた身のこなしで、器用にお銚子を持ち回る宴会社交術も…どうやら見応えがあった…。私は末席で…ひとり気楽な手酌の酒を…呷っていたが、芸者が義務的に席を移動してくる「酌」の手つきに気をよくして……尤もらしい顔で…盃を差し出していた。………………。「宴会」は…過去の私の仕事の一つだったが…、もう、あの頃の緊張感は昔の物語で、ほとぼりも冷えきった現在では「酒宴」の席に座るのも億劫なくらいな気持ちだった。最近では酒量も微々たるもので、一座の者が…このひとときに浮かれてはしゃぐ姿態を見ているだけで…雰囲気に酔ってしまい、それだけでも十分なのである…。宴会は最高潮に達した…。…暫らくして…私の前に、「水割り」入りのグラスを片手に持った…「黒岩元中隊長」が現われた。「まあぁッ、今夜は賑やかにいきましょうッ……」彼は先刻の様子とは裏腹に、陽気な声で愛想を振り撒き…ビール壜を突き出してきた。隣の松本氏も一緒になって昔話が弾んだが、彼の話題の中には「保科」の過去は完全に無視されて「蘇州」の第七砲兵団のくだりにも、私が登場する場面は出なかった。私は、怪訝な思いで彼の顔を見詰めていたが、この人を強制してまで自分の存在を顕にさせる必要もないし、歴史的事実を云々する気などないから…そ知らぬふりをしていた。若しかすると、中隊長として君臨した当時を故意に「隠蔽」しているのかも知れぬ。或いは…この私が、印象度の薄い兵隊だったのかと…納得するしかないのである。「まあー、どっちにしても…現在の自分にはさしたる問題ではないッ……」職業軍人の彼が、戦後の人生修業で…どれほどの人物に成長してきたか、私には今さら関係ないが、見受けられる風貌と、態度や話術は…現在の実力の程を伝えてくれる。「当時も現在も…私は何時でも、自分なりに精いっぱい、生きてきた積もりですッ…」自信ありげな彼の胸中に去来する感懐とは…どんなものかは知るよしもないが…、既に私の方でも、先刻来の疑問点を…糾明する気は…消え去っていた…。世紀末を思わせた…あの激動の嵐に…日本帝国の崩壊が…彼を茫然自失にし、記憶朦朧となるほどの精神的打撃を蒙ったとしても強ち見当外れではないだろう…。この際、独善的な解釈で…僭越な思考を膨らませ、一方的に相手を責めるような…不様な態度は慎むべきだと…長年の「経験」がコールサインを送ってくるのである。…微笑する私は…うなずきながらも、とっくに「時効」になってしまった…あの「敗戦」にさえ…、今更拘る必要はないのだと…自分自身に云い聞かせていた…。黒岩氏の社会馴れした現代の処世術とも執れる……お座敷ご遍路が遠退いて、静かになったとき…私は隣の山崎氏にビールを注ぎながら話し掛けた……。「今の人は元中隊長だったんですょッ、でも…四十二年も経ってぇッ、いきなり再会したって、それが…まるで初対面みたいな顔をしているんですから、記憶なんてもんは相手次第でぇッ、なんの価値もありませんねぇッ…」「そんなことッてぇ、あるもんですかねッ、とぼけてんのかなぁッ…随分、人を馬鹿にしているんですねぇッ…俺の身にはーッ、直接関係ないけど人ごととは思えないし、聞き捨て出来ねぇんですょッ、とんでもねぇッ、空け者だッ…」と彼は息巻いた…。「仮に…、あの人が、とぼけたとしてもぉッ、そう…したかった理由を今更、知りたいとは思いませんょッ、…四十年以上も経ったんだし、現在ではもう、反発する必要性がありませんからねぇッ…まぁ……縁が切れたってぇとこでしょうかねぇッ…」「保科さんがそうッ、割り切れるんならぁーまぁー云うこともないでしょうがぁ、哀しい話ですねぇッ……」…悟り切ったふうな私までも一緒に…赦せぬ…と云いたげな山崎氏の口ぶりである…。本当は…、黒岩氏が…座持ちのお愛想を振り撒いた頃から、白けた気分を押し隠していた卑屈な自分が情けなかったのだが、矢張り…私は…さり気なく表面を装いたかった…。「世の中は…無益な争い事が多過ぎますから、忘れることも必要でしょう……」…………………。…隣の席で一部始終を聞いていたのか…松本氏が、この時…すかさず口を挟んできた。「へぇーッ、まぁッ、保科さんはぁッ、枯れてるんですなぁッ、感服しましたッ…」私のわだかまりを推察したのか…、俄に声を和らげて、話の調子を変えた……。「ずいぶん、女にもてたんでしょうなーッ、その気風じゃぁー女が黙っているもんですかねぇー、惚気の一つも聞かしてくださいょッ……」いきなり…崩れた仕草をしながら、芝居がかった手つきでビールを注いでくれた。…「なぁんの、なぁんのぉッ、そりゃあーッ、お門違いッてぇとこでぇッ、とんだ濡れ衣ってぇもんでしょうょッ、……」…するりと体を躱した私は…さり気なく彼にビールを勧めると、器用な手つきでグラスを上げた彼の顔に浮かんでいる「…愉快にやろうぜッ…」と云う意図が伝わってきた。「そいつわ~私よりッ、松田さんの方でしょうがねぇッ……」「へへぇーッ、この俺がかねぇッ、へぇー、嬉しいことを言ってくれますなぁッ…」水を向ける戯言に…巧みに乗っていく彼は…場面を華やかなリズムに変えた…。「かあちゃんにゃぁッ、内緒だけんどぉッ、今度の彼女はねぇッ、………」…下世話にも興味津々の女遍歴を、滑稽な口っぷりで、おもしろ可笑しく、剽軽な身振り手振りで「艶話」を演じ始めたから、聞いている私はびっくり仰天であった。「…酒に酔った勢いならば」…辺り憚らぬ高っ調子で、巧妙な抑揚も慣れた調子の声色混じりの見事なご披露だから、周りの者もつい釣り込まれて…野卑な爆笑が一面に渦巻いて…鄙猥な話題が次から次へ、隣から隣へと伝播していく……。………………。笑い興じているこの人たちこそ…四十二年前までは同じ釜の飯を食い、野戦風呂で垢を流し合った間柄である…。あの「湘桂作戦」でも、どうにか命を全うし「終戦」で…運よく故国へ復員した時は…嬉し泣きして迎えた家族の前で…小踊りして歓んだに違いない。…然し、歳月が過ぎれば…その感動も薄れてしまい、姿形も老い込んで潤いも枯れる。「戦友会」とは凋んだ現世を忘れさせる砂漠のオアシスなのだろうか……。…今日…顔を揃えた戦友が、同じ湯槽と洗い場に…若さを偲ぶ昔話はとめどもなく、この宴会の膳部の前で…手拍子を合わせて唄う軍歌の節々も、世馴れた華麗な年季を物語っているのだが、よもや…この中に悪意の魂胆を潜ませる者など…居る訳もない…。他愛のない話題が多い方が賑やかだし、深い仔細を問われないだけ愉快なのである…。「全く、今はー…、いい世の中になりましたなぁー……」沁々と云う松本氏の表情は「現代」の幸福にどっぷり浸った安穏な顔であった…。…「来年の会でも…また、必ず会いましょうねぇッ、…、…、…、…」…泣き上戸らしく涙声で意気投合を呼び掛ける彼の表情には、苦しい戦後の生活を、切り抜けて来た者同士のみが知る「不撓不屈」の自信と…安堵の願望が漲っていた…。私の手を執って…膝をすり寄せて泣く…彼の異様な迫力は…人を圧倒するものがある。「はぃッ、はぃッ…」と相槌を打つだけで…この刹那に…人知の技巧はなかった…。…「松本君、またぁー泣いているのかぁッ……」彼の「泣き癖」を知る者が、向こうの方から声を飛ばしてきた。…往年の軍隊では、彼と深いかかわりを持たなかった私だが…、今日、同室のよしみが奇妙な「縁」となって、冗談の一つも言い合う仲になったが、旧来より昵懇の間柄のような想いを抱くのも、人生修業に耐えた眼力が…相互の「腹」を読んだが故であろうか…。…私が、この「戦友会」に出席できた経緯は「能勢寧方」氏が、苦労の末に送ってくれた勧誘の葉書だが、彼が…私の住所を捜索してくれなければ「トセ会」の存在を知ることもなかっただろうし、青年時代の事を、これほど克明に回想することもなかったのである。私は、先刻から気になっていた能勢氏が座る席に出向いていった。…今日の、この「出合い」を…丁寧に「礼」を述べれば…彼は笑いながら言った……。「有難うッ、年々、出席人員が減る一方なんで、寂びしくってぇッ、もうー、夢中で調査をしていましたょッ…」淡々と語る顔に刻まれた苦心の「皺」は、未だ半数近くも残っている現住所不明者の捜索に懸ける必至の執念でもあり、生き甲斐とも執れるような…意気込みである…。かつての戦友たちが、老年期を迎えて…いくばくか残された最後の人生を有意義に生きようと決めたとき…「戦友会」の会員減少を記す悲報は…「生命」の尊厳を自覚する思いが強く、神より委任された…この「呼吸の恩恵」を声高に讃歌する気持ちが湧いてくる。その昔、幾多の戦闘で散華した…英霊に捧げる「鎮魂歌」としても…「最後の一人になるまで…歌い継がれる希望の歌声になって欲しいものだ」…と、彼は言葉を結んだ。…慌ただしい戦争中の頃から「喜怒哀楽」の感情が…現代までの人生を支えてきたが、生きる慶びを知ることは、自然の摂理に従って…四季を迎える「花鳥風月」のように…それは人間にも哀歓を伝えることで…飽きることを知らない爽やかな律動を促す素である…。能勢氏は…「戦友会」に一生懸命尽くしても、発展する見込みのない辛さが何よりも哀しいことだと…目を瞬いていた。散々苦労した調査で、参会を呼び掛けても…理由も分からぬ出席拒否をされたり、甚だしいのは返事もなく、握り潰されたことや、平和に馴れた現代の生活に…「今更、軍隊なんかに関係したくないよ」と、冷ややかな反抗をされた心の痛手の方が「よっぽど…身に応えますょッ…」と…肩を落とす…その声に力がなかった…。

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