旅路の果て

09.旅路の果て
 「こうして…喜んで貰えるのが嬉しいんですッ、それだけで生き返りますょッ…」満面に笑みを湛える「能勢氏」の胸中には…若き日、共に泣き…共に苦しみながら培った戦友との強い「絆」が現在でも残存しており…戦後の「荊の道」でも…離れ離れの生活になった時にも…連絡をとり合い…約束を交わしつつ、互いに再起を励まして…生き永らえてきたであろう四十年の歳月を回想している表情が窺われた…。今日…杯を傾ける手つきにも…深い思い出がある筈なのに、既に…社会機構の本筋から遠退いた老後の気力では…何時の間にか、単純な感傷の境地にはまっていく…。年毎に「旧戦友」達が鬼籍の数を増し、急速に…先細りの傾向が見えれば尚更である。現在、生きていることが、見様によっては…とり残された哀愁となって、想い悩む現象は…何にも替え難い…辛い責め苦にもなろうと云うものである…。…然し、彼のような…ひたむきな「蔭」の苦労があればこそ…報せを受けた大勢の老戦友たちが各地から参集し…「嬉々」として、誰にも遠慮のいらない…この場席を借りて…「過ぎ去りし青春時代」を腹蔵もなく話合い…述懐できるのである。…「生存」とは矢張り…尊いものだと自覚して、相互に生膚の温もりを再確認し…納得することこそ…生きている充実感を満喫することができる。…その昔…彼の地に於いて…凄惨な戦闘行為に生死を見つめ合った者同士が、男の歴史を語り合い、今後も尚、生き続けていく為には、時世を踏まえた思索と謙譲なルールを弁えなければ「戦友会」の存続さえも危うくするのだと…この人は承知していた…。連絡の途絶えた戦友を漸く探し当てても返答はなく、不審のあまり駈け付けてみれば、彼は…既に不帰の客として西方浄土に旅立っており、堪り兼ねてご遺族に声をかければ…「軍隊」や「戦友」関係などを理解しておらず、胡散臭い顔で追い返されて、泣くにも泣けない冷酷な世相を恨み、慨嘆するのは…「しがない老人の世迷いごとでしょうか…」と苦笑する顔は…将に「時代の変遷」を達観した哲学的な相好であった…。あの「敗戦」で、壊滅した「日本の軍隊」を今更、悪し様に批判しても、奪われた青春が戻る訳でもなし、勝手気侭な雑言を並べ立てて…欝憤をぶちまけても爽快な気分になりきれない「もの」が糸を曳くように残るのは…過去の戦争が、旧軍隊だけの責任ではないと云う「時代考証」がこの近年…急速に浮上してきた理由も大きい。「想い」の奥底には忘れがたい意味深長な追想が駈け巡ってくる。軍隊の経験もない人たちが一方的に軍閥を誹謗し、軽佻浮薄なご時世に「迎合」し、作為と誇張に満ちた欺瞞の「戦記」を空読して、物知り顔をされたのでは迷惑千万である。私は…「軍隊生活」を媒体にして…「鳥居政夫氏」と師弟の契りを結んだ「思い出」を大事にしているので…軽々しく戦友関係の是非を侮辱されたくなかった…。…あの「戦場体験」に於いて…人間同士の闘争本能と、鬼気迫る…極限状態の「生と死」の「瞬間」に居たなればこそ…「運気盛衰」の「妙」を会得したのだと思っている。尤も…その論理的な解明が出来るようになったのは、後年の私が「建設現場」の運営に携わった頃、万難を排除しても「施工」を成就させなければならぬ「企業戦士」の中堅処で掴んだことであり…「安易な妥協」に抗争し、断乎とした決意と気概を護り通した心境が…一時的でも…あの時代の「主役」になれた…大きな原因だと思っている…。…この時点で…「能勢寧方」氏に…「鳥居政夫氏」の病没を伝えたのだが……。「へぇー?、鳥居さんてぇ人、聞いたことがありませんなぁー…」…私が「バタァン還り」の転属兵のいきさつを…話し始めると皆まで云わさずに…。「いやぁッ、それは分かっていますッ、バタァン還りは何人も知ってるんだけど、その鳥居ってぇ人はぁー、覚えてないねぇッ…」と小首を傾げるだけだった。…「第二大隊段列隊」は昭和二十年四月に解体され、全員が各隊に編入されのだが…「トセ部隊」の名簿に…その名前が記されていなければ…詮索しようもないのだが、どうして六年兵だった鳥居氏の消息が漠然としているのか疑問はあったけれど、此処で執拗に食い下っても、話が進展するとは考えられず、私は…話題を逸らして…自分の席に戻った…。………………。「能勢さんと随分長い話でしたねぇー……」と…松田氏がさり気なく問いかけてきた。「それがぁー……」私は、鳥居氏の一件を掻い摘んで語った……。「そう云うことならー、いっそのこと『トセ二段会』に直接連絡しなさいょッ…」…何気なく…彼に云われたとき…「えぇッ…、」(そう云う『会』も在ったのかぁッ…)…その途端…。私の脳裏に浮んだのは…、あの旧第四分隊の荒張軍曹の雄姿だった…。「あの班長さんは未だお元気なのだろうか……」…私は、その連絡方法を聞きたかったが、好調に盛り上がっている真っ最中にトセ三会以外の件を持ち出し、この場に水を指すような話は差し控えるべきで、衝動的な問い掛けは…松田氏に失礼になるだろうと…我慢するしかなかった。…「戦友会」では…現代の「身分」を別項として埓外にする風潮が罷り通っており、四十二年前の新旧年次を意識させる気配があっても、さほどに反発心はなく…、時代を逆行する話題の方が…むしろ、「現世」を忘れて…幽玄の境地に浸れるものである…。青年時代のリズムが突然に蘇生したように酔い痴れるのは滅多にない快感でもある…。その爽快感が魅惑的な魔力となって…馳せ参じた男たちだが、如何せん衰退した体力では次第に声も細まり、疲労てくれば…酒宴の終幕が既に近付いた報せなのである…。現実の社会では…文章でも、式次第でも…決まりごとは「段落」を印して締め括る。「えぇー、お楽しみの最中ではございますが、定められたお時間になりましたので、この辺で…一旦「お開き」にしたいとぞんじます……」一段…声を高くして…幹事役が宴会の終結を告げると一同は静まり返った…。「えぇー、ここで恒例のトセ三会を讃える手締めをしますので、ご起立を願います…」池辺元中尉の音頭で…三本締めが終わると一同は…機嫌よく大部屋を出ていった。「おみなえし」の六人は悪酔いする者もなく、三時間に亙った酒宴の汗をおのおの温泉に流して…さっぱりとした恰好で逐次、部屋に戻ってきた。松田氏も…湯上がりの上気した顔を拭きながら…入ってきたが……。「どうして、どうしてぇッ、黒岩さんはぁ、すげえ女好きなもんだょなぁッ……」大きな声で、称賛とも…驚嘆ともつかない口調であった。…風呂場に居た「背流し」のさんすけ氏に…「若い女のマッサージ師が性交渉に応ずるって聞いたけど…紹介してくれよッ…」とあたり憚らぬ「話」をしたと云うのである…。「石和温泉」が湧出して…未だ三十年そこそこで、本格的に宣伝されたのは医療設備が完備された温泉病院が有名になってからで…、一般温泉旅館の建設等は…この近年、急激に発展したものだが、狭い地域の「温泉療養所」としてのイメージが強いだけに、歓楽街目当ての「客」が少ない理由もあり、従って風俗営業の「店」は少ない。そうした経緯は未だ耳に新しく、なんとはなしにこの温泉場は健全ムードであるが、意外に此処が老人むけの隠れた「穴場」だったのかも知れない。…………………。…旅行者の中には…、日本人特有の「一歩踏み出しゃ旅の空」とばかりに羽目を外す風潮がある。これは…道楽者と律儀者とでは、程度の差こそあれ…昔ながらの悪習である。「旅の恥はかき捨て」式を「方便」にすれば、先方の「女」がれっきとした商売人である限り…「売るものがあってこそ、買う客が居るのは当然…」だろうし、温泉場に性的歓楽施設が非公式に存在していることは珍しくもないし、それを密かに期待している「遊び人」が居ることを…取り上げるのも普通の話で…それほど驚くには当たらない…。普段の暮らしでは味わえない常識外れの「女あそび」はどんな男にも潜んでいる「雄」の本能なのか、それとも「いかがわしい誘惑」に負ける「悪」の意識は…サディストならずとも…性的満足感を刺激するこよなき魅力になるのだろうか。…ましてや、老年者ともなれば、我が家のある地元では絶対見せられない「痴態」でも、知らぬ他国の遊び場では…日頃律儀の仏顔も何処へやら、冬眠期を脱した「おとこ」が久しぶりに目を醒まして…鎌首を持ち上げてくるものである。この味を一度覚えた老年者が、残り少ないエネルギーを他人に見せびらかしても、自慢になるどころか「老残の雄」をご披露しているようなもので…、若いときから「道楽」や「女遊び」に縁が遠かった人ほど…愚かにも「病み付き」になるらしい…。家族の前では無理に威厳を保持しようとする人とか…、僅かな地位、財力なのに「成功者」気取りで…「権力」を誇示しようとしても、最後の「あがき」も同様で…、夢中で何かに縋り付こうとしている性癖だけが目立つ姿には、哀れさが伴ってくるが…案外…当人は軽い気分で、得意になっていることが多いのである。これが苦労人だと云われるような男の場合だと、極端に「馬鹿」になりきれず、羽目を外す度合いが小さいから、豪勢に「遊ぶ」ことができない。むしろ…どんなときであろうとも…「金銭」の使い方は渋いもので、「なま酔い本性を違わず」なのである…。…………………。黒岩源治氏が、どの程度の「遊び人」であるのか、私が詮議をするまでもないが、どうせ…物見遊山的な「ひやかし」なのだろうが、悪戯を仕掛けて…冗談半分で…楽しんだとするにはどうにも「垢ぬけない」会話をしたものである…。…「遊びズレ」が高じて…「媚態」の女を見付け次第…執拗にからかう癖がついているのであろうが、本人は何気ない調子で…ちょっかいをかました心算なのかもしれない。…然し、これが本気だとするならば、もう少し、素早いタッチで商談をするべきだし、…「女」の誘い方も…やんわりといなせな手腕を発揮させてこそ…よしとする…「粋人」の定義と云うものが…江戸の昔より存在するのをご存じないようである…。先程、宴会の席上で、遊び人を吹聴した「松本氏」が意外に律儀な批判をしたのには滑稽感が伴うが、あけすけにそれを指摘すれば角が立つ……。「ははぁーん、そりゃぁ、凄い元気でぇッ、ご立派なもんですねぇッ…へへッ、へッ」…迂闊に黒岩氏を誹謗することは得策にあらずと…私はあっさり受け流した…。…彼氏を「俎上」に乗せて捌いても特に得るものはないし、何もかも…松田氏に同調するのも大人げないので、この場は当たりさわりのない道を選ぶべきだと割り切った。同室の者に「後味の悪い思い出」を残したなら…それこそ…私たちの方が笑い者にされてしまう…。 冗談めいた言葉の意味を流石に勘ずいたのか…彼はテレ隠しの苦笑いで…こそばゆい話題から逃れるように…部屋を出て行った。…その黒岩源治氏と私は、中国軍の第七砲兵団に派遣されて約半年間も一緒の生活をしていたのに……彼は私の存在を抹殺したかのように全く無視している…。…あの時「北見軍曹」や「竹内少尉」が、この場に同席していたならば、今日の顛末はどうなっていただろう。四十年目の再会では矢張り、縁も記憶も遠退いていただろうか。それとも…「やぁッ、保科ッ、生きていてくれたかぃッ、会いたかったぜぇッ…」と…大歓迎で、忘れかけた昔話が飛び出したりして、面白い一日だったのかも知れない。然し、あれこれと根拠のない推測をしても…無益の戯言でしかないのである…。…あの終戦からの経緯も、自分本位の解釈で…「戦友愛」の存続を一方的に願って…美的な再会シーンを想定し、満足感を独占しようと望んでも、人間は百人百様で、兵隊時代の思い出も…人それぞれに異なることこそ…妥当とすべきであろう…。出席の当初に思った通り…「戦友会」には特別の期待を抱かない方が良いのである。この現代に、元戦友達が…生き残っているだけでも、老後の身には喜びの対象となる。…昔…「兵隊」だった私を…見ていた…「生き証人」として、残された貴重な日々を燃焼していく同志であろうとも、おのおのの思想は自由なのだから、束縛は許されない…。………………。和気靄々のうちに…その夜は更けたが、老戦友たちは…平穏に閉じた「酒宴」を口々に賛美して…また会う月日を語り合い、故郷の自慢話で…明くる日の旅を待っている…。…散りじりに別れて行くであろう…この人たちへ一年後も変わらぬ元気を祈りたい…。…今、老いたりとは云え、あの太山廟では凄絶な迎撃戦に明け暮れ、悲惨な「湘桂作戦」では…数か月間も恐怖の空襲に身を晒し…、しのぎを削って進撃した勇士である…。その軌跡を辿って行くと「終戦」があり…「江湾特別収容所」の後は…復員まで続く。…四十二年ぶりの昔話は深夜にまで及んだが、疲れ果てて…誰ともなく話が途切れた。この娑婆に…あと何年…呼吸をしていられるものなのか、…深刻に考えたくはない…。…移り変わる激動の時代に放りだされて、浮き世をさ迷い歩き…人生の大半を流浪生活で過ごして来た私だが…、一生懸命「思惟」を培い、この自分自身を育てて来た……。矢も盾もない…自虐性の胸中には…夜の虚空を切り裂くような嗚咽が迫ってくる…。明日からの老いの営みには…「未知への魅力」を刺激として、旅路の果てを見極められる生命であるように…来る日、来る日を真摯に生きるのが…、私に課せられた…この人生最終の任務なのだと承知しなければなるまい……。
                               流浪奇談「戦後編」 完

コメントは受け付けていません。