宜昌 対砲兵戦物語

11.宜昌 対砲兵戦物語
                    佐藤章太郎

 (前略) 夜間に入り、揚子江支流を挟んで対峙した敵味方の銃砲声も途絶え、静寂の時が訪れた。突如敵野砲数門が激しく、我が歩兵陣地を猛砲撃してきた。 師団司令部から大隊本部に直ちに敵砲兵の制圧命令がきた。大隊長小原少佐は第三中隊に射撃命令を下した。第三中隊長増田大尉から、敵砲兵の位置が判らないので協力して欲しい、との要望が入った。小原少佐はこの時「ニヤリ」と笑い、大隊観測係将校の私に「佐藤中尉データを教えてやれ」と云うので標定した敵砲兵の座識を第三中隊に伝えた。第三中隊の火砲四門が忽ち火を吹いた。 激しい敵味方の砲撃戦が始まった。我が第一線陣地は大分激しい被害を受けた模様である。 昼間から予め標定して置いたものらしく正確に我が歩兵陣地に命中した。第三中隊から要請を受けた時、大隊長が「ニヤリ」と笑ったのにはわけがある。敵火砲が射撃を始めた時、数発目にして本部観測所は、敵砲兵の閃光を捕捉して標定していたのである。それは前日敵前地を測定してとき、「将軍岩」と命名した対岸の一角であった。本部観測所が敵砲兵は「将軍岩」に在りと測定すると同時に、電話が鳴り、第二観測所からも敵砲兵は「将軍岩」との報告が入り、完全に一致したのだ。敵砲兵の位置は座標上に載った大隊長がそれを見て敵砲兵の位置を確認した時、第三中隊長から、目標が掴めないので助けて呉れ、との報が入ったのだ。中隊観測所は敵砲兵の発火を捕捉出来ないのだ。温厚だが、口の悪い大隊長は「中隊長の奴、弱音を吐きおって、本部観測所の実力を知らせてやれ」と思わず「ニヤリ」としたのである。夜間における敵砲兵の標定はど難しい作業はない。発火光は見えず、僅かな青白い閃光のみを頼りに、眼鏡内に捉えるのだ。 閃光には巾があり、その中心点を正確に測定しなくてはならない。第三中隊の射撃が続いた。将軍岩に砲火が集中し、火光が炸裂するのが見える。その内に異変が起きた。敵砲兵の射撃が、ばったりと止み、大きな爆発音が響き渡ったのだ。どうやら敵の弾薬集積所に我が砲弾が命中したらしい。間を置いた誘爆の音は、火を吹きながら暫く続き、敵砲兵は完全に沈黙した。師団長から大隊長に電話が入り「只今の射撃効果絶大なり」とお褒めの言葉を賜った。砲兵出身の内山師団長は射撃に詳しく、夜間標定の難しさも、百も承知の方なのだ。小原大隊長のご満悦は云うまでもない。工兵聯隊長からも祝電が入り「この真っ暗な中で、どうやって敵砲兵を探し当てるのか?素晴らしい技術に関心した」との電話であった。工兵聯隊から電話が入ったのにはわけがある。この作戦に当たり、工兵聯隊から虎の子の単眼二十倍望遠鏡を借用して、本部観測所にドッカと据え付け、重宝に使用していたのだ。この作戦は「宜昌北方高地作戦」と名付けられ、蠢動する宜昌北方の敵に大打撃を与えるための作戦であった。一ヵ月程前から準備を始め、我が十加としても宜昌飛行場滑走路に測地の基線を設定して、我が陣地及び重要なる敵目標を測地して座標上に表していた。歩兵が揚子江支流に陣地を構築し、対岸の敵陣地に相対峙した。小原少佐の指揮する第二大隊は師団配属で第三、第四中隊の八門を揃えて放列を敷いた。作戦開始前から大隊本部観測所と第二観測所を敵陣を見下ろす高地に設定して本部観測所には強力な前記の二十倍望遠鏡を置き、約三粁ほど離れた第二観測所は砲隊鏡で第三中隊から古参中尉を支点観測所長として応援を仰ぎ強力な大隊本部観測網を完成していた。二日間に亘り対岸の敵前地の観測を始めた。前地の作戦地域に片っ端しから名称を付けて、前地図を作成した。両観測所が離れているため、同一地点が、同じように見えず、電話で何回も担当下士官を怒鳴り付けながら、丸二日を要して詳細な前地図(取瞰図)が出来上がった。作戦開始日は次の日であった。当日十加大隊は稜線の遥か後方の見えざる敵重要施設に対し我が戦闘機の支援を得て、飛行機観測による遠距離射撃をした。生まれて始めての飛行機観測射撃である。標旗を本部観測所の下方の平地に展開し、飛行機の誘導に従って射撃をした。航空兵も標旗信号がよく読めるらしく、大成功であった。ところが標旗の場所が、敵から丸見えのため、敵野砲の標的となり、強烈なる砲撃を受け、部下に死傷者が出た。この野砲こそ、その夜我が歩兵陣地を砲撃してきた憎っくき敵砲兵であった。昼間の仇を夜討ったことになった訳である。昼間は何処から撃って来ているのか皆目不明で、発火も標定のおかげで仇討ちが出来たことは、まことに奇妙なものであった。夜間標定は前地を完全に掌握していないと、何が何やら見当も付かないことになる。演習での夜間標定はいつも失敗の連続であった。これは準備不足の制である。前地の模様は詳細に調べ、作戦に備えたものである。そのための測地に昼間は走り回り、夜は図面を書き二、三日の徹夜は普通だった。その代わり戦闘が始まると、どっかと眼鏡の前に座り、戦況を観望することが出来る特権がある。 進攻作戦ともなると毎日一番高い所に重い観測器材を担ぎ上げなければならない苦労がある。「宜昌北方高地作戦」も大戦果を挙げて師団は元の守備位置に戻って陣地固めに入った。重慶に最も近い揚子江最西端の戦闘機基地である宜昌市街には毎日定期便の如くノースアメリカンB25による爆撃があり、空から爆弾の洗礼を受けた。その上飛行場は連日連夜敵野砲の標的にされ、駐機の戦闘機がよく燃やされた。赤々と燃える我が戦闘機を見ると、我ら砲兵の責任を痛感した。これは揚子江対岸のたった一門の敵野砲の砲撃によるもので、目標は飛行場滑走路一本に固定して撃ってきた。敵火砲の位置は小さな廟のある華福山と呼ばれる揚子江対岸の小さな山の陰からである。十加が猛砲撃してもびくともせず、師団配属の挽馬十五榴曲射砲の射撃でも反応がなかった。第十一軍から急降下爆撃機が動員されて猛爆したが、それでも効果がなかった。毎日味方の戦闘機が撃たれるのを見るのは辛かった。第十一軍司令部は遂に第十三師団に対岸一帯の占領を命じてきた。漢口からの重慶爆撃に重大な支障ありとの判断からである。宜昌から護衛戦闘機が随伴しないと爆撃機の損害も大きいからだ。いよいよ揚子江対岸占領作戦が決行された。渡河作戦は成功し、一旦は敵陣深く進攻し、その間に問題の華福山を含む対岸一帯を占領し、強固でがんじょうな陣地を構築し、電気鉄条網まで張り巡らし防衛線を敷いた。この華福山の敵野砲陣地を占領して見ると、山の後方斜面に厚さ二米のベトンで固めた銃眼を作り、ロシア製の野砲一門を砲口だけ宜昌飛行場に向けて射角と方向を固定し、上下左右何れからの砲爆撃にも絶え得るように構築された将に虎の子の一門であった。これを見て一同唖然として声がなかった。この作戦後宜昌飛行場は安泰であった。この外に昼となく夜となく宜昌市街を砲撃してくる強力な十五糎加農砲があり、これは威力のある長距離砲であって、朝の挨拶から、夜のお見舞いまで間断なく撃ってきた。この砲撃の落下音は昼間のB25の爆弾の落下音より物凄く、恐怖の的であった。次第に落下音が大きくなってくると、皆からだを縮めて頭を抱えた。ドカンと落ちるとホッと胸を撫で下ろした。弾丸が粗製濫造らしく不発弾が多かった。シャー、シャーと来てブスッと突き刺さっておしまい、不気味だった。観測所で夜間標定して見ると、我々が通称「猫の耳」と名付けた対岸の遥かに遠い山の後方から撃って来ていて、夜間の閃光の巾は百蜜くらいもあり、いつも土橋大尉の率いる第四中隊が制圧射撃を担当した。当方が撃ち出すと沈黙するのだが、これは最後まで破壊出来なかった。師団長内山中将は我が観測所まで来て熱心に説明を聞き、敵砲兵の位置を観察した。これも砲弾からロシア製と判明していた。遠距離射撃のため砲弾の落ちる場所が広く拡散していて、何処へ落ちるのか皆目見当が付かず、恐怖に曝された。この砲の位置まで占領するには師団の兵力が足らず、やむを得なかった。聯隊本部機関が武昌から宜昌に転進して来た第一夜にも、激しい砲撃戦があり、聯隊長東中佐は、ここは第一線なることを痛感したと云う。

 以上は宜昌における対砲兵戦物語の一節である。

                          (続 われらの野重八より)

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