十四年式十加の威容

02.十四年式十加の威容

 昭和17年5月1日 野戦重砲兵第八 聯隊(東部第72部隊)に入隊。6月・7月は下志津練兵場にて「十四年式十加」の猛訓練を重ねる。上は・・・。「照準点、後方ーーー、ポールの頂上ーーー、方向3800ーー、高低10度2つーー、榴弾瞬発信管、装薬2号ーーー、第1発射、続いて込めーーー・・・」鬼伍長と云われた後藤伍長の号令一下、一番砲手より14番砲手まで各自、持ち場の役目を適格・迅速に行動する。

(写真は九二式野戦重砲)

左の写真は・・・。12~3名の砲手が渾身の力で「脚」を持ち上げ「前車」に取り付けるところ。

 十四年式十加は最大射程距離16000メートル(16km)6屯牽引車、前車、火砲の偉容。(前車とは弾薬車のこと、常に50発の弾丸、薬挟が積まれている)

信管の種類=瞬発信管→着発信信管。零距離射撃→榴散弾対遠期信管→対戦艦、城壁、トーチカ等 一発の弾丸に500発の散弾が入っている。


 太山廟の二大段営舎、第四分隊班長個室前にて。當陽より写真屋を呼び寄せて写した。立つ右より五十嵐武次(現役)、芝田英夫(18年03月)、槇島茂(16年04月)の三氏と保科、前列右より宮川春吉(15年07月)、荒張班長(14年09月)、石崎八郎(15年07月=19年07月岳州にて空爆を受けて戦死。)


太山廟二大段営舎東側広場
 立つのは右より荒張軍曹、北住一雄曹長、菅沼多八曹長、湘桂作戦の出動に際して決意も新たに記念撮影。
座するは鈴木修一軍曹。
太山廟二大段営舎東側広場にて、後方に見える窪みは沮水の流れ。
              (昭和19年03月初旬)

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