鳥居政夫氏と再会

15.鳥居政夫氏と再会
  昭和37年8月の末…。 東京に居る私の友、「大津吉男」氏から次のよう便りが届いた。
『拝啓 いつもながらの筆無精で ご無沙汰を致し、申し訳ございません。その後は変わりは無いですか。 東京は毎日暑くて堪りません。9月に入れば凌ぎ易くなるのだろうと念じながら、頑張って降ります。さて、先日、私が所用で日本橋掘留へ出掛けた所で偶然、鳥居さんに出会いました。生憎と時間の余裕がなかったので立ち話で別れましたが、鳥居さんは今度、店を買い、9月始め頃に開店する予定らしいです。「…保科さんからは時々便りがあるけれど、いつも元気のない文面なので、彼がどうなっているのか心配で、事情によっては東京に呼び戻そうかとも思っていますが、兎に角一度会いたいものだと云って居ました。私がそちらの状況を掻い摘んで話したところ、漸く安心してくれました。 私も近いうちに水戸へ行きたいと思っていますが、その時は改めて、ご連絡します。本日は取り敢えず、鳥居さんに会ったことだけをお知らせしましたが、暑さも厳しい折から、くれぐれも身体には気を付けて下さい。 大津   8月23日 』
 …私が左肺の結核で6ヶ月も入院していたことなど、鳥居さんには報せなかったし、会社も長期欠席の為、退院しても退職さえ余儀なしとする場合は…どうしょょうなどと、思い悩んでいて、煮え切らない推測ばかりの…愚にもつかない弱気な文面になってしまった…あの頃、感受性の優れた…あの方が、即座に疑問点を追及できない…もどかしさを…さだめし、歯痒く思っていたことなのであろう…。これは…早く調布の鳥居氏に「便り」をしなけりゃぁ拙いかなと、思う間もあらばこそ、もう、その翌日に…当の鳥居氏から封書が郵送されてきた。
 『残暑の折から、保科君にはお変わり有りませんか。私ども親子一同もお蔭さまで無事に暮らして居りますれば他事ながらご安心下さい。 先日、日本橋へ出向いた際、大津君に出会い、貴殿の話をいろいろと聞かされました。小生も家内も、そちらのことは気になっていましたので、失礼かもしれませんが、心配をしていました。 然し、心に思うだけで、現実的には何のことも出来ず、生活に追われて、通信さえも怠る次第で、ご無沙汰が長くなり、面目ないと自戒しております。 思い起こせば貴殿との仲は、あの中支の戦場から始まり、戦後に復員して…どさくさ時代の頃に、本所の焼け跡のバラック建ての工場では…ロイドインキや、中近文庫、東邦化工等、手形割引の苦労が続き、きりがないくらいの辛い、嫌な思い出ばかりです。 私が倒産してうらぶれ果てた末に…一か八かの思いで第二の人生に賭けた門出の歳に、貴殿の家で出された一杯の焼酎に野菜の天麩羅、そして家中みんなで暖かく迎えてくれた…あのときの嬉しさは今も忘れられません。その折り、貴殿の紙函貼りの賃仕事を手伝ったりしたことを思い出します。後日、貴殿は重い病気をしたそうですが、あの頃の無理が身体に障ったのだと推察する次第です。あの日、 昭和33年8月1日に、貴殿と別れてから「おでん」の屋台車を曳き、夜の路上で売り始めたのです。もう、ご存知の通りに身体を張っての商売でした。そのうち、思いがけなく関係の薄い第三者の方から3万円貸して貰い、自前の「屋台」を購入して商売が出来るようになりましたが、まだ世間からは白い目で見られて、瘋癲野郎のように酒に溺れての鬱憤晴らしも何回かありましたが、家内や子供たちの為にも、何とかして立ち直ろうと、一生懸命努力したのが、少しずつ報いられて、段々お金も貯まり、家財道具の一つも増えて、ご馳走も食べられるように生活も向上しました。この頃は「ひがみ根性」も消えて、世間の人々も私を理解してくれるようになりました。最近、この近所に新築の貸し店が建築されることになり、思い切って、これを借りる資金の算段を昔の恩人に話した処、三人の方々が賛成して下さり、百万円を改めて貸して頂けるよう…とんとん拍子に話しが決まり、現在…建築は八分通りに進行しています。9月半ば頃には開店の見込みです。その時は、ご家族全員で上京して下さい。 積もる話もあることだし、是非ともお出掛け下さるよう…お待ち申し上げています。相変わらず乱筆乱文にて失礼しました。 奥さんに宜しく。   (昭和37年)8月25日   鳥居政夫 』
…この手紙を受け取った私は…、久しぶりに筆太の懐かしい筆跡をじっと見つめているうちに、昔のことが止めどもなく思い出されて…何度読み返しても飽きる事がなかった。如何にも小気味よく、型破りに活躍する彼の力量感が、ひしひしと私に伝わってきて、胸中にくすぶり続けていた私の迷いも一挙にふっ切れてしまい…、鳥居さんの見事な手腕に称賛と…尊敬の念がこみ上げてきた。 「及ばずながら…こちらも、腹を据えて頑張ららなきゃぁ恥ずかしいな……ー」発奮した私は…その日から尚一層業務に励んだが…、秋口に入ると、仕事が急に忙殺状態となり、休日さえも予定が立たず、そのまま…年末の突貫工事に突入していった…。私達親子4人連れが「江戸名残り 銀八」と云う…その小粋な「割烹店」を訪ねたのは翌年の2月末だった。 5年ぶりに再会した両家族は…かつての主従関係の敷居を超える…泣き笑いの場面になったが、それは到底、文字や言葉では表現しきれない…。両者の職業は変わってはいたが、彼の気迫のこもった眼光は自信に満ちて輝いており、過ぎ去り行きし年月も何のその、青年同様に若やいだ語り口の韻律が…、私の脳裏に燻る憂いを吹き飛した。明るい雰囲気が広がると気分は弾み、師弟の誓いを結んだ昔が懐かしく…、今更のように手を執った二人の胸は激しく脈打っていた…。思えば、意外にも初めての握手だったが…、「これからも…お互いに頑張りましょう……」更なる成功と飛躍を呼び合う…乾杯の美酒は、私を蕩けるような陶酔の境地にしてくれた。九死に一生を得た…あの「湘桂作戦」当時の壮烈な話も飛び出したりしたが、戦後の苦闘を幾たびか浴びてきた二人にも…未だ未だ戦場を駆けずり回っていた野性味が残っている証左だった。
 …それからの月日は…、立場こそ異なるが、両者の真価を問われる…「正念場」となった…。

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