鳥居政夫氏の思い出

16.鳥居政夫氏の思い出
 昭和21年の春四月・・・。中国の戦地から復員して以来42年も経ってから・・・この度、初参会した「戦友会」での大きな感動を、文章に纏めて・・・嘗ての恩師であり・・・そして戦友でもあった故鳥居政夫氏のご霊前に捧げたいと思う衝動を私は抑え切れなかった・・・。・・・それは確か・・・22年前(昭和40)の夏・・・。彼が経営する調布の」江戸名残り銀八」の店で夕暮れ前のひと時・・・ふとした動機から・・・鳥居氏と・・・語り合った・・・「トセ部隊」と「湘桂作戦」の回顧談は数分間だったが、生涯に忘れ得ない沁々(しみじみ)としたものであった・・・。その頃は「終戦」から約20年が経過し、私たち二人は挫折と進展を交互に繰り返す苦節を踏み越え、随分遠回りをしたけれども、断ち切れない「縁(えにし)」に引きずられて・・・久方ぶりの再会が叶ったことに、手を執り合って喜んでいた・・・。まだ活気溢れる年齢だった。互いの職業こそ異なってはいたが、その時期・・・漸く二人は生計の進路が確定したばかりの頃だった・・・。・・・その時・・・。「なぁー・・・あの(槇島)は復員後どうしているんだろうかねぇー・・・」・・・その言葉を聞くと同時に私は大袈裟な身振りをして鳥居氏に向かって瞠目した・・・。その「槇島」とは・・・。鳥居氏の同年兵で・・・確か・・・東京早稲田の出身だと聞いていた・・・。彼は・・・鳥居氏等と共に太平洋戦争勃発早々の比島作戦に・・・第14軍の先遣兵団に参加した「独立野戦重砲兵第八連隊」の出征兵士として「コレヒドール」攻略戦に・・・猛烈な砲撃戦の応酬の末に華々しい戦果を挙げて、凱歌浴びた・・・武勲の誉れ高い「バタァン帰還(かえ)り」と謳われる仲間なのである。・・・その後、昭和17年8月末に彼等の一部は中国湖北省「沙荊地区」の「トセ部隊」に転属した。彼の風貌は実に飄々として得も言われぬ滑稽感が漂う人柄で・・・面倒見のいい方で、私も随分お世話になった・・・。「湘桂作戦」当時、私達が同乗した車両だけが、敵地で孤立し・・・幾日も生死の境界を彷徨し・・・凄惨な事件が次から次ぎへと出現した悲惨な戦場の光景が・・・まるで昨日のように蘇ってきて・・・二人は神妙になった・・・。その・・・恐ろしい地獄の淵から這い上がり、生き延び・・・壮絶な進撃が6ヶ月も続いたが・・・、一転して「上海防衛戦」の作戦に参加したのだが・・・、青天霹靂の8月終戦となり、2,3の課程を経て私達は復員した。それから42年も経過したが、既に鳥居氏は昭和61年7月に不帰の人となってしまった現在・・・、私だけが思いがけない「戦友会」に初出席することなんて想像もしていないことだった・・・。語り尽くせない幾多の出来事や・・・数ある誰彼の逸話も・・・年月を経るに従い、追想を重ねるうちに・・・私の思想も枯れて・・・観察の角度にも変化が生じ・・・いつしか人心の奥部に触れるようになったような気がする・・・。

コメントは受け付けていません。