戦友会

22.戦友会

トセ部隊「五、一会」例会記念撮影

 今日は「トセ5、1会」の日だ。朝の5時に起きて身支度を整え、家を出た…。5:48の水戸駅行きバスに乗った。ずいぶん早朝にと思うだろうが、今日は休日だから…この時間以外のバスが運休なのも田舎の特徴だから、どうしようもない。交通閑散の町外れから、市内道路をのろのろと約20分で水戸駅前停車。駅構内で約1時間待機して、7:25上野行き特急へ乗車。乗車率50%ぐらいである。持参したカスティラを「水割りウイスキー」缶を片手にモーニングドリンクと相成る。「おいら」にとって本日は週一度の飲酒許可日だから、誰に遠慮をするものぞ。但し、一人なんだから大人しく黙って静かに飲まねぇと、車掌につまみ出されてしまう。味けねぇなぁ…と思っても、これはなんとか規則に決まってるから仕方がない。8:55上野到着。池袋経由の山手線に乗り換えた。新宿駅に来たのは一年ぶりだ…。5,1会の諸氏が集合する時間まで小一時間もあるんで、駅を離れて付近をぶらついてみると、若い カップルの派手な服装と、「おいら」から視ると羨ましいような男女のコミニケーションの有様は…現今じゃぁ…水戸も同じようなもんだけど、まだ午前中だって云うのに…これがぁ…かなり濃厚なタッチで愛の表現とやらをご披露しているんだよ…。流石に大都会新宿の風景はすさまじいなぁ…。10:30 河合氏の指示で6人の元戦友が小田急の「箱根湯本行き」の切符を乗車券自販機で求めることになって、機械のボタンを目の前に…つっかえ、どっこい、やっとこ切符を手にしている姿ってぇものは首都の東京に住んでても…田舎者の「おいら」と…そんなに差がないことを知って…やれやれてぇところだ。11:30小田原駅へ停車。おいらは二年前に倒れた「心不全」治療薬をまじめに服用いるんだけど、こいつの副作用だろうが、どうにも小用が近くて忙しいんだ。新宿で用を足してから未だ一時間そこそこなのにもう、我慢の限界になっちまった。「あぁ…、トイレに行きたいなぁ…。おいらぁ、一人でも、此処で降りますよっ…」と、断りの言葉もうわの空同然。ホームに立って見渡すと、向こう側のホームの突っ先にトイレのマークが見えた。「あそこだっ…」おいらの足は小早く動いて目的に突進した…。やっと「用」を果たして人心地ついた途端に腹が減っているのに気がついた…。駅弁を買って…ベンチを探すと幸いなことにホームには乗客の人数が少ない…。此処は小田原なんだから「箱根湯本」とは目と鼻の間隔だ。何も慌ててみんなの後を追う必要もない…。ぬかりなく、さっき買ったばかりのワンカップの口をあけて「グビリ…」おつまみは幕の内弁当だ…。12:28発の箱根湯本行きに乗る。毎度見慣れた風景をたっぷり楽しんだところで湯 本駅に到着。 此処は観光地だから休日の方が下車する人が多い。結構なもんだ。「水明荘」は何度も来たんで、それこそ目を瞑ってても行ける距離だ。うしろから「おいら」は声を掛けられたような気したんで振り返ると、今日集まるメンバーの一人「梅沢氏」が喜色満面で近寄ってきた。彼が「そばを食っていくから…」と云うもんで…おいらぁ、付き合うことにした…。そばを食っている彼のまん前で…、すかさずビールを注文し…、胸を反らしてグーゥッと一気に飲み干す…。「旨いッ…」喉が乾いてたとこだから、溜飲を下げたねぇッ……。「それでよぅ……」と、なんとなく彼に話し掛けるんだが、これがぁ、この人…見かけに寄らず口が重いんだねっ…。まぁ、煩い顔も見せねぇが…人なつっこい目を上げ下げして…その都度あいずちを返すところなんざー…「よっ旦那さん…」と言いたくなるような好感の持てる御仁でさぁ…。「5,1会」の受付に顔を出すと…その仲の一人が「あっ、小田原で降りたのは一杯やるためなんだ ぁっ…」一見して判るおいらの酔眼は隠しようもないんだろうなぁっ……。「いやいやァ…そうじゃぁないんだょ…腹が減っててぇ……」と弁解したんだが、そんな言い訳は忽ちに…うち崩されちゃったょ…。まぁ…無理もない。当たらずとも遠からず………、「へっ、へっへッ」この場合は照れ隠しの顔で…引き下がるしかない。なるべく無難なやりとりで、この…一日一晩を過ごしたいからねぇ…。本日の集合人員15名。年々頭数が少なくなる。なんやかんやの理由を聞いたけど、どれもこれも自然の摂理としか言いようがない。78歳前後てなぁ、もう年寄りの部類なんだから、いい加減に「くたびれ」もするよっ。誰も老いぼれたかぁねえだろうが、人生てなぁ、際限があるんだから、元気印も…この年齢当たりが歩留まりになるのかなぁ…。何かの連絡や、通信の時折に訃報を知らされるのがだんだん増えてきたようだ…。もう、このあたりで観念してねえと、とんだところで赤っ恥をかく場面に遭遇するかも知れねぇ、くわばら、くわばら…。今じゃぁ…「おいら」よりも…年下の戦友は矢後氏だけかも知れねぇ…。あの人は…日常生活の健康維持を心掛ける節制心が強固なんだろうなぁ、一見して丈夫そうだっ…。良き…ご伴侶と共に落ち着いた老後ってえところだな…。依田氏と言う御仁なんざぁ、その昔、太平洋戦争緒戦の頃、野重八聯隊が参戦したバタァン攻略戦に従軍しているんだから、81歳にはなっている筈だ…。どうして、どうして…元気なもんでさぁ。そこへいくと、おいらなんざぁ、だらしがねぇ…、どう狂ったんだか…自分でもよく判らねぇんだが、40年前頃から夜の巷をほっつき歩いて大酒を飲み放題。飲み代に事欠くような素寒貧でもなかったが、早死にした女房は泣いてたよっ…。随分苦労掛けちゃった…。迷惑かけっ放しだったからなぁっ…。あの辺りで目が醒めてりゃぁ…、紳士なんだろうが、おいらぁ…あの頃…何度も頭ぁ下げながら…ついつい惰性で飲み続け…遊び通しちゃたッから… こうして…いい爺になるにつれ…何だか体が不自由になったなぁ、歳のせいかと思ってたら、とうとう「心不全」で…ぶっ倒れちまった。だけんど…、あの道楽てっなぁ、やたら なやつじゃぁ覗けっこねぇような奇妙に面白ぇところがあるんだねっ…。不思議な魔力ってぇやつに雁字搦めになっちゃうもんなんだ。貴重な経験をしたかもしれねぇが…「反省」と後悔の念がいつまでも消えねぇょっ。今じゃぁ、プラス思考で生きるしかねぇが、遊びてなぁ、とても他人にゃぁ、お勧めできねぇことさ…。まかり間違っても、あんなこたぁするもんじゃぁねぇのさ~。「うぅん~……、馬鹿は死ななきゃぁ、なおらない~…」二年前のあんときぃ…おいらぁ、76歳の重病人だぁ…。一時はもう、これで死ぬんだと思ってたからねぇ。酸素吸入の管と点滴の管とが絡み合ってる姿なんざぁ…、半死半生もいいところでさぁ…。大小便の始末まで孫みてぇな看護婦の世話になって、20日間も身動きできねぇんだから、哀れなもんだった…。「九死に一生を得た…」とか…、医師も婦長も看護婦も…みんな口を揃えて「奇跡だ…」なんて云うけど…おいらぁ医学的な知識がねえもんだから、返答のしようがなくって…、ただペコペコするしかねぇっ。意識てぇやつがハッキリしていただけに情けなかったょっ。日進月歩の医学と最新型の医療機器が揃った大病院だから、命びろいをしたんだと言うやつで、「良かったねぇっ…」てな言葉を聞かされたって…下手な返辞もできねぇから…、「へぇっ、お世話になりました…」と神妙にしてるんだ…。あれから…もう丸二年が経過んだょ…。「光陰は矢の如し」てぇやつだ…。身動きのとれねぇ、病床の苦しみだけは流石のおいらも二度と繰り返すようなドジは踏みたくえぇから…、連中のご恩に報いるためにも…真面目に治療を続けてきたんだ…。本当なんだよっ…。週一度の飲酒解禁日だって…、その日一回一合の酒量を破らねぇと云う誓いをちゃんと守って参りやした……。今日は…年一回の戦友会なもんで…特別なんだから「亡き戦友」の供養にもなるだろうと…お許しを頂いて…、区切りよく、その都度1パイだけってぇことにしたんだ…。決して、こんりんざい…もう羽目を外すような馬鹿はいたしません…。この日、決められた部屋割りの顔ぶれは…、矢後、鴇矢、篠原の三氏とおいらだ…。「石渡氏」が出席してりゃぁ、当然相部屋なんだろうが、今回は欠席なんだと言われた。何でも、亡兄の法事をしきらなきゃぁならないんだと、いうことで…、今日は彼一流の弁舌巧みな…声が聞かれねぇのが、寂しいけど、あれも人生にゃぁ大切な行事なんだから、他人事とは思われねぇょ…。鴇矢氏なんか、今までに「彼」と同席するたんびに、これでもか、これでもかって、畳み込んでくる痛烈な言葉で揶揄れ、冗談とも受け取れ兼ねないほど、こき下ろされているのに…「石渡氏がいないのは張り合いがないょ…」なんて事もなげに言うんだなぁ…。戦場で…何度も生死を共にした戦友てなぁ…、お世辞抜きの付き合いだったから、現在でも延々と脈打ってて堅い絆で結ばれているってぇ証拠だょ…。あの頃から50年以上経過っても戦友ってなぁ、いいもんだね…。そこえいくと、おいらなんか、あの御仁とは当時、所属大隊が別々だから、顔を合わせたこともなかった…。 現今から、ほんの10年ほど前に、とある「戦友会」で一緒になってからの付き合いなんだけど、「あっ…」と言う間にお互いに親近感を持つようになっちゃった…。尤も、同聯隊にいたんだから、戦場体験は似たり寄ったりで大抵の話は通じ合うんだ…。あの矢後氏にしたって、あの頃のおいらぁ、「野重八」から一緒の隊伍を組んで中支の「トセ部隊」に入隊してきた仲なんだけど、終戦後、43年も経ってからおいらが初めて山梨の石和温泉での「トセ三会」に参会した時、偶然同席する迄、縁がなくって…話を交わしたこともねぇんだょ…。それ以来の付き合いなんだ…。終戦後も「江湾」の集中営舎で同じ「三中隊」に所属していながら、言葉を交わす機会がなかったと言うのも、当時は混沌とした状況の繰り返しで…各中隊、各分隊の移動が激しかったから、行き違いの連続で…そんなことになっちまったんだろうなぁ…。矢後氏が「トセ三会」の運営をしていた頃、おいらぁ…何回かお手伝いをしてたから、あの御仁の律儀な性格と真面目な思想に敬服し…、今日に至ったと言う次第だ…。「5,1会」の面々だって、どの方々も…みんな似たようなもんだ…。不思議な縁で結ばれた元戦友同士なのさ…。戦友会てなぁ、今日この頃の人たちにゃぁ理解し難い存在だと思うよ…。おいら達は…50年以上も昔の軍隊の一員にすぎねぇんだが、あの頃は日中戦争の真っ最中だったんだ…。現在も何かと話題が尽きない南方戦線とは違い、当時の作戦報道にゃぁ、陰に隠れてたから、「宜昌作戦」、「江北・江南作戦」、「常徳作戦」、と…先輩古兵達が湖北省襄西地区の最前線の戦闘を5年も続けてたって…それ程有名じゃぁなかった。太平洋戦争勃発の昭和16年12月頃でも…「トセ部隊」は…その襄西地区で食料確保作戦で血みどろの活躍をしてたんだ…。その挙げ句の果ての昭和19年5月末から…中支の第11軍の全軍が総力を賭けた大作戦が開始されて、歴史的な猛進撃が6ヶ月間も続いた…。しかも…その期間中…悉くが大激戦だった「湘桂作戦」と言う渦中にいたもんで、大変な経験をすることになったんだ…。あの頃の戦闘状況を思い出す度に…よくぞ生きて帰還れたなぁと身震いするよっ…。おいらぁ、現在でも戦場の凄さ、恐ろしさ、悲惨さは一般人にゃぁ喋りたくねぇ…。現代の平和感覚からは想像することができねぇのが、戦場ってぇものなんだ…。 怠惰に慣れた…戦争を知らない世代では…その全てが誤解されてしまうだろうな…。「戦友会」では…、ごく自然な会話として通るから、わだかまりと言うものがないんだが、集まる元戦友の何人かは耄碌していて話がとんちんかんなのも愛嬌があって面白いよッ。数多くの体験談の語り部達も…年月が経つに従い、色褪せて萎びた老人になっちまうと…、弱々しい世迷い言なんか誰も聞いてくれなくなっちゃうんだろうなぁ…。「俺は大丈夫だ」と片意地を張ったって、聞く相手が居なきゃぁ…話は途切れちゃう…。それこそ…おいら達が命懸けで働いた歴史の事実も風化してしまい…この世から消え失せちゃうんだろうなぁ……。まぁッ、俺達ょり年下の連中が老人病とかで……、次々おっ死んじゃってんのも情けねぇ話だが、本当なんだから…、哀れなもんでさぁッ、年齢なんかとりたかぁねぇんだが、こいつばっかしゃぁ…、俺の一存だけで勝手に決めるこたぁできねぇんだからなぁ……。それにしても、踏みつぶしても簡単にゃぁ…くたばりそうもねえくらい丈夫やつがいるけんど、ほんとにたいしたもんでさぁ………。指定された部屋へ入ると…、毎度おなじみの顔ぶれがおいらを迎えてくれたょ…、一年ぶりだけんど…同じ戦闘で苦労した戦友同士は直ぐ…くつろいだ気分になれるんだ。 おいらぁ久しぶりで矢後氏と…ご対面したんだが…、なんだか体全体が一回り大きくなっているのを見て吃驚しちゃった…。「……………」こんな場合、どんな言葉で…それを指摘すれば愉快な雰囲気になるんだか分からないから、「いつ見ても立派な体格だねぇ…」としか言えなかったよ…。…鴇矢氏が…屈託のない…至極真面目な顔をしながら、その場の話題にピント外れみたいな思い出話をぼそぼそと語り始めたんだが、おいらぁ、じれったくて終わりまで聞いてるのが億劫になっちゃって、「うんうん…」と空返辞をするもんだから、一緒に聞いている矢後氏が「この人の言い分をちゃんと最後まで聞いてやれよ…」と注意されちまった。おいらの薄っぺらな性格は今に始まったことじゃぁないが、いい爺になっても一向に枯れてこねぇのは、もう…仕方がねぇか、こりゃぁ直らねぇんだな…。腹の中じゃぁ拙いいこと言っちゃったなと思っているんだけど、どうしても毎度懲りもせずに…軽薄な口調になっちゃうんだ…。おいらぁ、すかさず猫なで声で…「悪気があって言ってる訳じゃぁないんだから、勘弁してくれよ…」とテレ笑いしながら言ったんだが、彼の受け止め方はピントが合ってねぇような気がするんだよね…。何も意に介さぬってな調子で反発なんかしてねぇんだなぁ…。なんだか意表を衝くように「面白い話題を知っているんだ」とばかりに、突然「たいぺーの有楽街は素晴らしい…」なんて言い出すんだよ…。この人が喋ると暖かみがじわーっと滲んできて…妙に人懐っこい感じがして…憎めないんだねぇ…。この、鴇矢氏と同席していると「ほッ」とした気分が充満してくるんだょ。ほんとに…親しみ易いんで心が安まるよッ…。あの…、五・一会も無事に終わって…もう一週間経った…。…その 鴇矢氏から、6月15日付きの手紙が届いた。
 うっとうしい梅雨期となりました。過日、箱根水明荘での5,1会、まことに楽しい会合でしたね。…(中略)…病弱だった私も、この数年、すっかり健康を取り戻しました。皆さんのお元気な姿に再会できて本当に良かったと思っております。ただ、私は耳がだいぶ遠くなって、皆さんのお話がよく聞き取れないのが残念でした。そのため、私が不作法なばかりに 皆さんには大変、不快な思いだったろうと悔やんでおります。ご免なさい。お互いに高齢になりました。今後とも健康には充分注意をしましょう。又、来年の5,1会でお会いしましょう。      敬具

写真は宝生流能楽師の村田氏による荘厳な「仕舞い」姿。(無形文化財)

戦友会の村田氏「仕舞い」

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