転  進

09.転  進
 一九四五年(昭20)三月…。中国「広西壮族地区」の東寄りに駐留していた私達八人の日本兵は、その小さな「赤蘭村」を君臨し切った心算で……得意の絶頂だった…。『独立野戦重砲兵第十五聯隊ハ五月00日、江蘇省上海西方00地区ニ集結セヨ』…転進命令を拝受したトセ部隊では車両用燃料が乏しく…不安感を拭いきれなかった。…私達は…出動後に迫る困難を思うと鞭で脳天を打たれたような衝撃を受けた…。…五ヵ月前の作戦間では、食糧が全く途絶して、餓鬼同然となった連日の狂乱状態の醜状を回想すれば…、細やかながらも現在では…小さな平和を維持しており、例え…束の間と雖も…この安穏の暮らしに執着心があるのは無理もないことだった。「東洋鬼」と怖れられた日本軍の私たちが殺伐な懐いを忘れ、村人の厚い情誼に囲まれた柔和な生活を続けたいと願ったのは…否定できない事実である…。新たなる作戦命令の受けとめ方は、丁度一年前に「太山廟」を出発した意気込みとは似て非なる脆弱な精神が、この厭戦思想を芽生えさせたに違いない…。私達が…安穏な…その生活に執着したのには、それなりの理由があった。…重車両部隊が北上進行をするにしても保有燃料が僅少で、その支給日さえ曖昧なのが決心を鈍らせた最大の誘因で、この出動に嫌悪感を募らせる要素はその他にもある…。…大規模の地上戦闘は想定し難いが、空襲の脅威は以前にも増して熾烈を極めている。飛来する米軍航空機は地上の中国軍が後退四散した現在では寧ろ、攻撃目標が日本軍に絞り易く、大部隊の移動を見れば此処を先途と銃爆撃を繰り返してくるだろう…。わが軍の防空施設及び、機械化部隊の空襲防禦策は児戯に類する拙劣さだから、頼みの綱にはなり得ない。 各隊が個別で…場当たり的に危険を回避する方法を講じるのだけれど、昨年夏場の進撃途上で辛酸を舐めた…あの夜行軍の恐怖感を再び味わうのだろうか。…「十加砲」や牽引車、貨物車も、整備はしたが、気もそぞろの及び腰で、顔は強ばり…二千kmも彼方の国際都市「上海」に無事到着の切なる願いを祈るばかりであった。 私たちの…赤蘭村にも…愈々…別れる時が迫って来た………。唯一、豊富な「米」の袋詰めも終わった頃、鄭村長が…門出の祝い品を持って来た。豚肉の薫製風だったが、紅白の紙に包装されて「お供え餅」のように重なっていた。…「餞別」です…と…上品な笑顔で別れの挨拶をする態度には真心が溢れている…。…三月二十五日、出発の朝。 …母屋の表門の前に集まった村人たちは派手な爆竹を連発させて『旅の安全を祈る行事…』だと云って、盛大な拍手で…別れを惜しんでくれた…。思い出は尽きない…悲喜交々の四ヵ月間だったが、生活は貧しくとも村人との暖かい交流は…私たちの無聊を癒した他に十分な精神的な安らぎを与えてくれた…。大家族形式の「村」を不法に占拠した日本軍だったにも拘らず、民族の対立を超えた人間愛が発芽して、双方の心を和やかに結ぶ「絆」を大きく育んでいたのである…。「元気でなッ…」と、胸を張った日本兵八人は久しぶりに正規の軍装をしていた。…社会人として未熟だった当時の私たちには…憎悪も哀愁も見事に統御した鄭村長の偉大な人格に接していても、さしたる感銘も受けなかったのは誠に恥ずかしく、現在に到るも…申し開きの余地はなく…身の細る思いである…。…「全県」に集合した時点で…「第二大隊」の「砲」と牽引車並びに貨物自動車等の機械物及び…「砲弾、薬筒」類を鉄道輸送で…「武昌」へ移動させる企画が決定していたことを…私たちは初めて報されたのだった。………………。その時期…。「全県~武昌」までの鉄路復旧工事は…「鉄道工兵隊」が、約八ヵ月間の汗と血に塗れた活躍が下積みとなって既に開通されていたのである。…「作戦参謀部」の命令による無謀とも云うべき不眠不休の「レール敷設作業」であり、「苛酷な労働」を堪えて…全力を尽くした作業兵たちの夥しい犠牲が隠されていた。真夏の時期にも、飲み水が足らぬばかりか、食事さえも不十分な環境に加え…、その頃猛威を極めた腸チフスに感染し…、脱落する者が後を断たず、或いは突貫工事の夜間作業の無理に伴う作業事故等も多かったのである。度累なる米軍機の空襲に怯えながらの被害も甚大だった。…あらゆる苦難を跳ね除けた兵士たちの日夜の心労と精進を称賛しつつも…これは数多の「生命」を代償にして完成した貴重な「遺産」だと云われていた…。力強く黒煙を噴き上げ、逞しい汽笛を鳴らす…その旧式な蒸気機関車が…主役であるが…然し…脇役の「鉄道兵」の功績も…漸く脚光を浴びて…晴舞台に登場したのである。「万歳ッ…、万歳ッ…、…」苦悩に満ちた工事の成果に、彼らは小躍りしながら…泣きじゃくっていた…。戦闘部隊とは異なる技術と…結束力が要求される建設部隊の哀歓を垣間見た私たちは、感動と感激の涙に啓発されたように…粛然と隊列を正していた…。…貨車に同乗して車両監視する警戒兵は各中隊毎に五名とした。その外に部隊の機密書類及び人事関係その他の記録や、緊急医療用資材等を積載した貨物自動車が三台で、その他の将兵は新規に徒歩部隊を編成し、第一目的地の「漢口」へ向かう段取りであった…。 …………………。長年労苦を共にした愛車「三六五号」が無蓋貨車に乗せられて「全県」郊外の操車場を発車する刹那、私たちは複雑な想いが交叉して…何時までも立ち竦んでいた。………………。「中支の殿様部隊」として…自他共に豪快な機械化編成を誇っていた「トセ部隊」の古強者も、機動性を失って了えば驢馬の歩みにも劣る弱体集団であった…。而も聯隊創立以来初めての…部隊を列ねた徒歩による長旅だから…悲壮な決意である。…古風な型の背負い袋に、命の糧の「米」を十km程を詰込み、その上小銃を担って歩くのだが…、その要領を会得する迄に体力の方が先にばてるかも知れない…。この急造徒歩隊は…「全県」を出発した時から既に威厳を欠いていた。私の肩に担う…「チェコ製軽機関銃」は小銃より重量があるので、長距離歩行をすると予想以上に肩へ…のし掛かる重圧があり、忽ち悲鳴を上げる騒ぎで、新編成分隊の兵隊たちの失笑を最初に浴びた一人となった。一日の歩行距離は三十km前後だったが「漢口」までの宿泊日数を指折り数えると溜め息ばかりが先に出る始末で…「千里の道程」を空襲の脅威に曝されながら、消耗した体力で何処まで進行出来るのか、果たして無事の生還が叶うのであろうかと誰云うともなく囁かれる…この転進こそ…半歳後に迫る「敗戦」への葬送行進曲の序曲でもあった…。…昭和二十年の始め頃から…、中国方面の作戦状況に大きな変化を齎らしたのは、大本営陸軍部の戦略指針の趨勢が次のようになったことである。
 一、 支那派遣軍最大任務は対米作戦準備とし、戦備の重点を沿岸地区に決定したこと。
 二、 ソ連の対日参戦に対応する作戦準備のため、数箇の師団を至急中国戦場から満鮮方面へ抽出転用すること。

 かくて…大本営は二十年一月二十二日、岡村支那派遣軍総司令官に対し「中国大陸に進攻する米軍を撃破し、大陸に措ける要域を確保すると共に、重慶勢力の衰亡を図るべし」と命令し、同時に奥地に対しては、「全般兵力運用に大きな影響をおよぼさぬ範囲内で、小部隊を以てする挺進奇襲作戦の実施を認める…」と発令した…。沖縄作戦開始後においても、大本営は…、米軍の次期上陸点を上海付近、或いは山東半島南部の何れかであろうと判断し、四月十八日…在華日本軍の中で最精鋭である第三、第十三、第二十七、第三十四の四箇師団を華南から、この方面へ抽出転進させるように岡村支那派遣軍総司令官に命令したのである。これは…華北方面等から、第三十九師団他三箇師団を抽出、第三十四軍司令部も、ソ連の対日動向の変化に対応する戦備として、満鮮方面に転用するため、湖南、広西、江西の三省方面の湘桂、えっ漢鉄道沿線の占拠地域から兵力を撤収する決心をしたのである。今回の…、…粤漢鉄道の全通作戦終了後、同方面の兵力の収縮を決意した大本営の思い切りのよさは、別途南方地域に措ける作戦打ち切りの場合と若干意味合いは異なるが、大本営の作戦指導は…透徹した見通しを「欠く」との誹りは免れなかった。軍直轄のトセ部隊は「転進」の先鋒として反転したが、その徒歩に生彩はなかった。三年兵とは云うものの若年層だった私が不様な姿態を隠しもせず、隊伍の最後尾を必死に歩いていても、同情する者なぞ…いる訳がない。誰もがよろめきながら、前列を行く兵隊の足元だけに神経を集中して、恨めしそうに憑いて行くのが精いっぱいで…戦友を庇い合う余裕など無かった…。落伍すれば敵に襲われ…死亡に繋がると云う恐怖心から、歯を食い縛って歩くのみ…。…しかも一旦、雨が降り出すと、粘土質の道路だから部隊の行進が土を捏ねる作用をし、…忽ち凄い泥濘となり、足首まで没して了うほどで‥我々の行く手を阻んだ…。休息家屋がない露営の夜でも…哨戒の不寝番はなく、眠りを貪るのが実態であった。…四月を半ば過ぎると疲労で仆れる兵隊が続出した。行軍の定石とされている「三行一休」(三日歩いて一日休む)のリズムが乱れてくると中隊毎の歩行順列に狂いが生じるので、約四百kmまで辿ってきた「長沙」の兵站宿舎で…三日間の休養を余儀なくされたのである…。此処で…各中隊合同の将校会議の席上、軍司令部からの作戦追加命令が下された…。…漢口迄の道程約五百km内にある「洞庭湖」西方の「常徳」地区一帯に集結した中国軍第六戦区の三十箇師が、北上する日本軍部隊を側面から奇襲攻撃を仕掛け「湖南の会戦」…惨敗への意趣返しを目論み、全中国軍へ対日総反撃戦の口火とする戦略情報だった…。 「コノ迎撃の主体ハ、歩兵部隊及ビ、野砲部隊ヲ充当スル。後続ノ重砲部隊ハ現地ノ戦闘ヲ退避シ、円滑ニ迂回シテ速ヤカニ『漢口』集結ヲ計ルベシ…」以上が…、第十一軍作戦本部班からの命令だと発表されたのである。

                       第一部 出征編      完

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