結びの言葉

10.結びの言葉
 …以下は第二部『 敗戦編 』へと続いていく…。

 昭和六十二年(一九八七)十月に第一回の発表をした旧著『流浪奇談』は当初…上下巻を一つに併せて、まとめた分厚い一冊であったが、内容をより確実に表現したいと思い、今回『出征編』『敗戦編』『戦後編』に分割し、三部作として再編集した。各編共一冊は平均一三十ページ、本文ページ別(片面)の字数は約七百字である。史実文書を参考にしているので、部隊名、地名等は実記しているが、私を巡る波瀾万丈のストーリーと人物像には後日異議を唱える人と紛争が起こらぬように脚色を施した。…私が入隊した昭和十八年三月から、約一年間の中支戦線と、その後は湘桂作戦が五ヵ月間に亘り、広西地区に昭和二十年三月末に転進命令を受けるまで駐留…。二ヵ月間の徒歩行軍を経て、その後…上海沿岸防備作戦の準備中に終戦に至る…。全ての兵隊達が意見を差し挟む自由を許されなかった時代、命令一下…。さまざまな事件に巻き込まれ、血の滲む苦労をして生き残った将兵の中から、私達若干名は、終戦後の十一月から中国軍第七砲兵団に六ヵ月間拘束(実際は派遣)され…翌年四月より九州に復員…現在に至った経緯は紛れもない事実のことである。此の記述は…今日では貴重な…歴史の物語りとして理解して戴きたい…。…トセ会に参集するたびに聞く元戦友諸氏の訃報は断腸の想いがする。生き残っていることは必ずしも喜べないものと自覚した次第である…。私の初年兵当時の「荒張班長」が、平成四年六月末に七十六歳で逝去してからは…トセ部隊の交交の思い出が俄に遠退いてしまった。 特に淋しく感ずる理由の一つとして…、五十年前、まだ血気盛んな頃に…あれ程の激戦を共に経験した筈の同年兵諸氏に殆ど再会して居ない私は…(これは同年兵の人員数が最初から少ないので)…どうしても先輩の元戦友諸氏や…荒張氏らと昔日談をするしかなかったのである。「トセ会」の席上で…懐古談に花を咲かせた老戦友が一人、二人と…この世を去っていったことを知る度に…胸を締め付けられるような辛い想いに苛められる……。次頁の編集後記の内容を詳細に分析すれば、復員兵の一人として再起を図ったさまざまな努力の中には戦後に知り合った女性の姿も見え隠れしており、四十数年を経過した現在では小さなあがきでしかなかったような気もするが、市井の片隅にうごめいた無力な男達の生きざまを濃密な物語として…何れは書き遺しておきたいと考えている次第である。…実録「独立野戦重砲兵第十五聯隊」(通称トセ部隊)の原隊『野戦重砲兵第八聯隊』…その二十三年の経歴を再び探求して往時を偲ぶと共に、中支の(就中、世紀の大決戦である湘桂作戦に重点を絞り…)その他の各地で闘った『トセ部隊』九年間の行動記録や、この私が大きく関連した…昭和十七年以後の若い兵士らが味わった苦衷の数々を、この記述をひめくり…諸氏とともどもに、終生の願望を真摯に膨らましていきたい…。

                  一九九四年八月    編集者 保科 博

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